東京操体フォーラム 実行委員ブログ

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  文明の生態史観 その3

皆さん、おはようございます!
今日はブログの6日目。残すところあと2日。
早速、梅棹忠夫先生の「文明の生態史観」をわたしの理解している範囲で、ご紹介いたしましょう。
昨日は、旧大陸の文明が高度に発達した地域を第一地域、そうでない地域を第二地域とした、というところまでお話いたしました。
その第一地域は、日本とヨーロッパ。
第二地域は、中国、東南アジア、インド、ロシア、イスラム諸国、東欧といった国々。
現在では、中国や東欧が先進国に仲間入りしてきましたが、1955年、梅棹先生が見聞された時に、標準をあわせて戴きたいと思います。

さてこの「文明の生態史観」でもっともポイントとなる視点の一つに、サクセッション(遷移)理論があります。これは人間の歴史の法則を知るための理論モデル。
つまり、植物や動物の自然共同体は、一定の条件のもとでは、その共同体が一定の法則にしたがって遷移するのです。
例えば、裸地→苔類・地衣類→草木植物→低木林→陽樹林→陰樹林と遷移するのは自然法則。
環境に常に左右され生命活動が営まれているのが人間共同体。それならば、この自然法則が人間の歴史・文明にも成り立つではないか?という斬新な視点を提示されたのです。
これが、「生態史観」といわれる由縁です。
著明な歴史学者アーノルドJトインビー氏は、古代から今にいたるまでの人類文明に第一代、第二代、第三代文明と名称を与え、文明は発生、成長、衰退、解体を経て次の世代の文明へと移行するという仮説を立てました。また、地球の歴史、生命の歴史の尺度では、近々数千年の歴史などは、みな同時代にすぎない、という見方で、日本文明はすでに、12世紀から解体期にはいっているとみなされています。
この学説は、西洋人が見た偏見であり、あくまで仮説に過ぎないとかんがえたのが、梅棹先生でした。
本の中で、
「私が世界史をやりたいとおもったのは、人間の歴史の法則をしりたいからだ。・・・・わたしの頭のなかに、理論のモデルとして、生態学理論をおいている。・・・・進化ということばは、いかにも血統的・系譜的である。それはわたしの本意ではない。わたしの意図するところは、共同体の生活様式の変化である。それなら、生態学でいうところの遷移(サクセッション)である。進化はたとえだが、サクセッションはたとえではない。」
と強い口調で、トインビー学説に挑戦されています。

このサクセッション理論の発想は、日本人的だと思うのです。
便利のいい都会の真ん中に大きな教会をたて、多くのひとびとを集客する人間中心の西洋的な考えと、ケガレのないイヤシロチという磁場の高いところに神社仏閣を置く日本人の発想はおのずと違ってきます。
古代から自然崇拝の思想を守りつづけ、その法則性に神を感じていた日本人。
梅棹先生のDNAにそんな感性が宿っており、アフガニスタン・インドの学術探検隊での体験、トインビー来日による講演拝聴が起爆剤となって、一気に花開いたのだと思います。

サクセッションという現象がおこるのは、主体と環境との相互作用の結果がつもりつもって、まえの生活様式では治まりきれなくなって、つぎの生活様式にうつるという現象。
つまり、脱皮にも似た変化。
地球という生命体が、あちらこちらで脱皮をくりかえし、その脱皮の影響を受けたり、与えたりして生物としての人間が、共同体を作っていった。そしてその共同体も脱皮をしていったと考えてもいいのではないでしょうか。

それでは、第一地域と、第二地域の違いを簡単に述べてみます。まず古代史においては、第一地域は全然問題になりません。第二地域では黄河文明インダス文明メソポタミア文明、インド文明らいくつもの大帝国が成立し崩壊する歴史をたどっています。
また、この地域は巨大な乾燥地域。
梅棹先生は「乾燥地帯は悪魔の巣だ」まで述べておられます。少し極端な気もしますが、破壊と征服を繰り返した地域であることに、違いはありません。
そしてこの第二地域、近世に入って、初めて遊牧的暴力が鎮圧され、中国、ロシア、インド、トルコが近世の四大帝国として、成立します。

第一地域の特徴は、中緯度温帯の適度の雨量、高い土地の生産力があり、幸いにも第二地域からの攻撃・破壊をまぬがれました。
梅棹先生は、次のように説明されています。
「第一地域というところは、まんまと第二地域からの攻撃と破壊をまぬかれた温室みたいなところだ。その社会は、そのなかの箱いりだ。条件のよいところで、ぬくぬくとそだって、何回かの脱皮をして、今日にいたった、というのがわたしのかんがえである。
 サクセッションの理論をあてはめるならば、第一地域というのは、ちゃんとサクセッションが順序よく進行した地域である。そういうところでは、歴史は、主として、共同体の内部からの力による展開として理解することができる。いわゆるオートジェニック(自成的)なサクセッションである。それに対して、第二地域では、歴史はむしろ共同体の外部からの力によってうごかされることがおおい。サクセッションといえば、それはアロジェニック(他成的)なサクセッションである。」
これぞ、文明の生態史観と呼ぶべき文章だと思います。胸のすくような理論ではありませんか。
それでは、それぞれの地域でひとびとは何を思い生活していったのでしょうか?
明日、最終日は、ひとびとの思いというところから始めたいと思います。
おつきあい、本当にありがとうございました。
では、また明日、ごきげんよう!


佐伯惟弘