東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

般若心経の考察 ~ 般若身経解説⑥

 インドの習慣では、マントラ(明呪)は公開的なものではなく、グル(宗教上の師)が弟子と二人だけの席で、弟子に授けるものであって、弟子は自分に授けられたマントラは固く秘密にして、他人に漏らしてはならないことになっている。 これらの習慣を鑑みて、般若心経の明呪(マントラ、真言)においても同様に、当初はそういう性格のものであったのではないだろうか。 そのような疑いも当然起こってくる。

 

 科学文明至上主義を妄信しておられる方々は、呪文(マントラ)といえば、頭から馬鹿にされていると思うが、世の中には科学で解らないことは山ほどある。 日本にも 「ことだま」 という言葉があり、言葉には 「いのち」 があると言い伝えている。 インドでは声に出した言葉よりも、声の元にある声なき言葉に偉大な力があると信じられている。 試しに、毎日一定時間マントラを唱えるのを実行してみて欲しい。 数カ月も経つ頃には、何かが自分の心の中に起こることであろう。

 

 仏陀が言葉で説いたとされる八万四千の経典と同じように、仏教の 「心経」 では仏陀のエンライトメント(光明、悟り)と智慧の内容が経典を読誦し理解するという知解(ちげ)のみに依るものである。 しかし、操体の 「身経」 では、体解(たいげ)、つまりからだという全身の実践(身体運動)に転化して、生命そのもので解読する方便が編みだされた。 

 

 それはからだの使い方のルールである 「重心安定の法則」 とからだの動かし方のルールである 「重心移動の法則」、そして、からだの末端が動けば全身が動くという 「連動の法則」 のことである。 そのような動きが即ち、「体解」 というものであり、この動きこそがまさに 「仏の舞」 と言えるものなのだ。