東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

般若心経の考察 ~ 般若身経解説④

 初日よりこれまで述べてきた内容から、般若心経の解釈は日本の密教である真言密教の空海上人の解釈に近いと思えるであろう。 しかし、密教を大日法身の内証の境界をエリート層の菩薩たちのために説いた教えであると、そのような勿体ぶった解釈をする弘法大師さんにはとてもじゃないが賛成できない。 密教というのはもっとくだけたものであり、そんないかついものではないはずだ。

 

 仏伝文学上、密教の元はといえば、母性神信仰である。 人間の最も原始的な宗教は母性神崇拝であったと思われる。 母性神崇拝は我々人類の原始社会が母系社会であったのと関係があり、母たる女性がその中心であって、男性は社会的に影の薄い存在であったようだ。 また、天地万物を創造した神もまた女性でないと理屈に合わない。 インドの古典である 「リグ・ヴェーダ」 にもそのような女性神が見られるし、インダス文明の神像のなかにも、万物創造の母神の姿が見られる。

 

 女性神といえば、ふつうは優しく美しい姿を想像するものであるが、実はものすごく恐ろしい姿の神さまであって、母系社会の権力者たるお祖婆さまの威厳を表現したお姿をしておられる。 この女神は現代に至るまでインド社会に勢力を持っており、「女神カーリー」 と呼ばれている。 カーリーは真っ黒なからだで、いろんな武器を持ち、恐ろしい顔をして、しかも夫である 「シヴァ神」 を足で踏みつけた女神さまである。 

 

 般若波羅密多(ハンニャ・ハラミッタ)が女性の菩薩の名前であるとすれば、ここでは、この菩薩の心臓ということになる。 その般若波羅密多(ハンニャ・ハラミッタ)という菩薩の心臓とは一体何を意味するのであろうか? 「陀羅尼集経」 という経典には菩薩の 「大心真言(偉大なる心臓の呪文 mahā hṛdayamantra:マハー・フリダヤマントラ)」 のことであると書かれている。

 

 つまり、この経典の最後に提示された明呪(真言)の部分 掲帝。掲帝。波羅掲帝。波羅僧掲帝。菩提僧莎訶。ガテー! ガテー! パーラ・ガテー! パーラ・サンガテー! ボーディ! スヴァーハー!!というマントラこそが、この経典の主旨であり、この心経の説かれた目的であって、大衆に唱えてもらうことを念願としたものであろう。 だから鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の訳、「魔訶般若波羅蜜大明呪経」 の中の大明呪とは、まさに 「心」 にあたるわけである。 それだから、そもそものねらいが、最後の呪文を提示することにあったものと言えるわけである。

 

 そのような大明呪である 「心」 を 「身」 に換えて唱えてみれば、操体の身体運動である般若身経はまさに 「仏性の舞」 と言えるものだ。 それを合理的に証得するため、医学的に身体生命の実験的手法、つまり自然法則に基づいた重心安定と重心移動、そして連動の法則というからだの動きから身体運動を可能ならしめたものが 「般若身経」 なのである。