東京操体フォーラム 実行委員ブログ

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般若心経の考察 ~ 般若身経解説③

 

 般若波密多(ハンニャ・ハラミッタPrajñā‐pāramitā:プラジュナー・パーラミーター)は大乗仏教の菩薩(bōdhi‐sattva:ボーディ・サットヴァ)の修行に六種布施・戒・忍辱・精進・定・慧ある中で一番大事な 「慧」 の行法であり、ここでいう般若波密多(ハンニャ・ハラミッタPrajñā‐pāramitā:プラジュナー・パーラミーター)は智慧の極限ということになる。 しかし、般若(智慧)の内容が 「心経」 の書かれたそもそものねらいではない。 一般に般若心経の内容である 「空」 の理論を展開するのは本来、「金剛般若経」 あたりの役目であり、今さら般若心経がこんなちっぽけな 「空」 を説く必要はまったくないのである。

 

 般若(ハンニャprajñā:プラジュナー)は智慧という意味で、波羅蜜多(ハラミッタ)は六つの行法に共通して付けられており、 「極限」 を意味する。 そして極限的な智慧だけが仏陀を生みだすことができることから、般若波羅密多(ハンニャ・ハラミッタ)は女性の菩薩の名称となったものである。 また、別名をターラー(Tārā)菩薩とも呼ばれている。

 

 般若菩薩の信仰はインド教(ヒンズー教)の中の密教に刺激されて起こった仏教系の密教(Tantrism:タントリズム)であり、「金剛乗」 と呼ばれる宗教運動の中で支持されてきたものである。 この密教は女性神であるシャクティ(Śakti)信仰と真言(マントラ、明呪、またはダラニともいう)信仰に結びついている。 すなわち、般若心経は 「密教経典」 であり、顕教たる大般若経系統の経典でないことがわかる。

 

 操体の 「般若身経」 もからだの使い方、動かし方という身体運動の自然法則を説いた智慧の経典であり、仏教経典の 「般若心経」 と同じ密教である。 その般若身経から派生した操体臨床もまた密教であり、操者の意識の向け方が重要になってくる。 

 

 それは患者 「本人」 に意識を向けるのではなく、患者の 「からだ」 に意識を向けるようにする。 何故なら、本人に意識を向けてしまうと、限られた知識、経験、情報から発信してしまうことになり、からだの声を阻害することになる。 そうではなく、からだへ意識を向けることで素直に診ることができるのである。

 

 般若身経では言葉や知性で経典を解読するのではなく、身体生命そのものの智慧によって解読するメソッドである。 これは頭脳や知性の優劣は問われない。 仏典では言葉の方便としての経典が、操体では身体の方便としての実践法なる身体運動が智慧として存在しているのである。