東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

般若心経の考察 ~ 般若身経解説⑤

 仏典によると、明呪(マントラ、真言)には功徳と効験を賜っていると書かれている。 この明呪はジャパ(念誦)という作法と結びついて、百八の念誦をつまぐりながら低い声でマントラを繰り返して唱える作法である。 その明呪を繰り返し唱えることによって、自己の内なる魂と仏性が啓発され、仏陀の説いた四苦、すなわち 「生老病死」 の束縛から解放され、成仏できるものであると密教経典は伝えている。

 

 そういった意味合いから、般若心経全文を繰り返すのは無駄であって、最後の明呪だけを繰り返せば充分であるという結論に行きつく。 心経全文を繰り返すというのは、薬を飲む都度、薬品の効能書を読んでは服用するというのと同じことであろう。 心経の内容というのは、いわば効能書きにあたるものであり、そんな効能書は一度読めばそれで充分なはずだ。  薬そのものが大切であって、この経典では明呪(マントラ、真言)の部分がそれにあたるのだから。 

 

 明呪(真言)の最後で 「僧莎訶」(スヴァーハー!!という唱え言葉は、「掲帝。掲帝。波羅掲帝。波羅僧掲帝。菩提」(ガテー! ガテー! パーラ・ガテー! パーラ・サンガテー! ボーディ!) までを一定の数だけ繰り返した後で、一応の区切りをつける時に、菩薩の前にお香を献げるとか、その他の供物をそなえる作法を行ないながら一度だけ唱えるのがその作法である。 そのようなインドの風習をまったく知らない仏教学者の御仁の解釈というものが、いかに当てにならないかということである。

 

 操体臨床家にとっても大切なことは 「感じること」、「感覚すること」、「感じとること」 であり、患者さんに対して、まるで逃げるものを追いかける動物のように診てはいけないということ。 動物のようにではなく、植物的に診るように接するのである。 そもそも治療というのは、引き寄せるものであり、患者さんを症状疾患で診るというのは動物的な診方をしていることになる。