私自身は橋本敬三先生の”放言”を、この上なく好いている。
橋本敬三著『生体の歪みを正す』〜p469〜
「不快運動から快運動に早期に切り替えるのが治療の原点だと断言してはばからないのが、
愚老の主張放言なのです。この放言がウソかホントか実験して、現代医学が開発した諸検査を
フルに遂次継続して観察して、ご批判をお願いしたいのです。
放言を許して頂いても空しいことです。現代医学の考えと医療体制は革命の時期に来ていると、
今年も放言を続けさせて頂きます」(昭和57年1月1日)

- 作者: 橋本敬三
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言いたいことを言わせて頂く、それを取るも取らねえも手前勝手、批判も肯定もご自由に。
真剣に人類のことを、自分のことも同義として照らし合わせていけるように、調和を考えること。
謙虚に学んで指導して、欲を削り、愚かな自分に気付いていく。
その上で学びつなげて残ってきたこと。自然の法則に寄り添って生かされていく。
人に聞いてばかりの人もいる。
「楽と快の切り替えるスイッチはどこにあるんですか?」
そんなこと、他人に聞くだけじゃ駄目。「からだ」にききわけなくちゃわからない。
そんなスイッチ聞いただけでわかるようなら、聞かれなくてもばらまいている。
『付和雷同』
「楽」に慣れてしまっては、切り替えていくのはそりゃ大変なこと。
そもそも、前例があるのなら簡単だが、そうでなければ苦労するしかない。
しかし、苦労と勘ほど大切なこともない。
「楽」に慣れてしまったなら、苦労してもバチはあたらない。
「快」を理解できるように苦労しても、見返りは限りなく広がっていて有り難い。
いつでも『原始感覚』にゆだね、『からだ』に教えてもらえばいい。
そうすれば、
「ありゃ、ワタシ間違っていました。ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ」
勝手に申し訳なくなってきて、さらにお礼まで言いたくなってくる。
そうすると「きもちがいい」ってコトに、迷いがなくなる。
そうか!と合点。楽していても、なんとかなっているときもあるのだ。
そんなわけで、また一つ。
「きもちがいい」ってことを理解できてくる。
「岡村郁生」
■2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。