東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

私にとって操体とは「原始感覚の覚醒です」

操体を学ぶ人にとって重要なキーワードの一つが「原始感覚」です。
この”原始感覚”ですが、本来動物であれば持っているべき基本感覚であり、自然界ではこの感覚が鈍ることイコール”死”を意味します。「視・聴・触・嗅・味覚」の五感に霊的感覚を含めた六感を研ぎ澄ますことで日々、より感覚的に物事を感じ、行動することが可能になってきます。
人間とは良くも悪くも習慣の動物であり、行きつけのお店、いつもの通勤路などなど、パターン化することで生活を便利に過ごそうとするものです。パターンとは慣れであり、人間は慣れることで安心や安全を得ようとします。
この慣れや習慣化は人間の直感的部分を徐々に削いでいき、気が付いた時には目に見えるもの、論理的説明が可能なものにだけ耳や目を傾ける、コメンテーター型現代人が出来上がってしまうのです。
世の中には理屈で説明出来ることよりも、説明出来ないことの方が圧倒的に多いはずなのですが、どうしても数値化出来ないもの、自分の理解の範疇を超えるものはインチキだ!とか科学的では無いなどの理由を付けて封殺してしまいます。
私は操体を学ぶ以前から目に見えない存在や、科学的に立証しにくいものに興味がありました。それは単に興味があるという程度のことでしかなく、実際にハッキリと何かを見たとか経験したなど確信的なものは余り有りませんでした。
ですが普段の生活の中でも常識では考えられないタイミングで起こることとか、人との巡り合わせなど、人智を越えた何かは確実に存在し、それが人によっては“運が良い奴、悪い奴”と表現されたり、奇跡などと呼ばれているに過ぎません。

この傾向は臨床家になったことで一層ハッキリと認識する様になりました。
身体のバランスを崩し体調不良や障害に苦しんでいる方達は、単に目に見えるものだけが原因で発症しているのでしょうか?血液検査やMRICTスキャンなど最新テクノロジーでも説明がつかない症状が、たった一晩で全快することだってあるのです。良識のある方はあり得ない!と言い、意地悪な方は計測機器が故障していたの?などと、まるで治ったことが悪いかの如く、自分の頭で理解出来ない現象には諸手を挙げて喜べないのです。

しかし、その一方で昨今は人間の内面的部分が大きく関わっている「ストレス性疾患」が増加の一途を辿っているのも事実なのです。ストレス性疾患の主な原因は目に見えないものに対しての不安や恐れなど、おおよそ数値化出来ないものが原因になっているのです。

NHKが人気番組ためしてガッテン「驚異の回復!腰の痛み」と題して、腰痛の原因を最新の研究データを元に放送していました。そこではいわゆる椎間板ヘルニアなど物理的原因での腰痛は全体の数%でしかないと言っていました。こんなことは今更、言われなくても、臨床家であれば誰もが分かっていたことではあるのですが、腰痛の85%は原因不明、最近ではようやく研究が進み「ストレス」が腰痛の大きな原因であると、色々なところで言われる様になってきました。私の処にいらっしゃるクライアントの多くも、ストレス性疼痛を抱えている方が非常に多くなってきました。
番組内では脳血流量に着目し、腰痛患者が健康な人に比べ脳の側坐核(そくざかく)」の働きが鈍っているということでした。この“側坐核”は痛みが脳に届くと、鎮痛物質を働かせる命令を出すと考えられています。これがストレスによって正しく働かなくなると、僅かの痛みを激痛として認知し、信号として身体に伝えるようです。番組でも明らかにヘルニア状態なのに全く痛みも感じなく普通に生活をしている方や、画像には何も異常が見当たらないのに、強い痛みを感じる方が出ていました。結論的には”側坐核”は「快」を感じるのに強く影響する場所で、”好きな食べ物や音楽、匂いなどを積極的に取り入れる”というのが番組で出した答えのようでした。
早い話が「快適感覚」をききわけることで症状改善出来るという、我々にとっては渡りに船の答えではありましたが…

話しが相変わらず横道へ逸れてしまいましたが、目に見えるものが相手であれば、目に見える部分を磨けば対応が出来るでしょう。操体でいうところの第一分析(D1)がそれにあたります。橋本敬三先生が臨床の現場にいらっしゃった時代がまさにそうです。しかし、残念ながら今の時代は橋本先生が生きていた時代より臨床家は生きにくくなっているのかもしれません。農作業のし過ぎで腰を痛めているとか、重たいものを担いでの仕事で肩が凝っているなどの理由ではなく、何となく調子が悪い、原因が分からない腰痛、頭痛、神経痛などなど、各種症状はより複雑且つ原因が分かりにくくなっているのは確かです。

これら目に見えない何かと対峙するには「原始感覚」の覚醒が必要なのです。原始感覚の鈍化が様々な疾病の原因になっているのは間違いないのですが、一方でそれらの感覚をキャッチする側の我々も同様に鋭敏な原始感覚が求められるのです。そのためには日常をより感覚的に生きる必要があり、空気の流れや、緑の匂いを感じ、日々生活する必要もあります。
原始感覚は元々全ての人が持っているモノであり、感度の違いはあるにせよ、学習によって取り戻して行くことは可能です。
不快がはびこる現代社会において快適感覚をききわけることは意識をしないと難しいことかもしれません。

その中で、感覚を磨くこととして簡単に出来ることが二つあります。一つ目は、朝日と夕日を浴びることと、二つ目は月の光を受けることです。
朝日と夕日は掌(たなごころ)でしっかりと受けます。この時に掌の中で太陽の光を浴びた球体を作ります。作ったモノを今度は一気に拡散(放射)させます。
月に関しては額の中心辺りで受け、体内を通してから掌、指先、百会から放出します。こうして自然界の中にある一番分かりやすいエネルギーを陰と陽から体内に取り込みます。これを行っていると徐々に自然界に有る様々なものからエネルギーを頂戴することが出来ます。人間の感覚は常に地球と共にあってこそ、発揮出来るものです。原始感覚を磨くとは自分の中にある感覚に磨きをかけて身体の声と地球の声を共鳴、共振させることなのだと思います。
今の時代だからこそ、根源からの学びが必要なのではと思います。
いやぁ・・一週間ありがとうございました。明日からはお待ちかね三浦先生です。宜しくお願い致します。