三浦先生から色紙をいただきました。
今年で四年目になりますが、毎回いただく色紙には
その時、その時で自分自身にとって必要だなと思える言葉が
やってきます。
しかも今回は事前に色紙に名前を入れず、誰にどの色紙が
届くのか分からない状態でしたので、本当に言葉がやってくる
といった感じでした。
今回色紙には
「イソップ物語の北風と太陽を思い出す。
あえて不快をとほさなくても快をとおせばよい。
快は太陽、光である」
とつづられていました。
操体を学んでいるならば、ニヤリとするような
改めて噛みしめるような、もっと奥があるのではないか
と思わせるような言葉です。
臨床を通していると、からだがききわけてくるのは
快適感覚ばかりではないことが分かります。
快とも不快ともつかないような予備感覚。
または、痛みやしびれ感、重さやだるさといった
快適感覚とはベクトルを異にするような感覚。
こういった感覚を含めてからだは原始感覚として
ききわけてきます。
このような不快ともとれるような感覚が
どのように変化していくのかを
見守るのも操者の役目だと感じています。
あえて刺激を与えず、あえて不快を与えず、
しかし、からだがききわけてきた様々な感覚(不快な
感じも含めて)を変化として受け止めて、優しく
からだを見守る。それこそイソップの太陽のように。
「歪んでるから(こそ、それで)助かってるんだ!!」
そして、
「快、不快をききわけられるからこそ、
不快も変化するからこそ助かっているんだ!!」
どこまでいってもからだのもつ自力自療作用の
前では手も足も出ません。
「臨床は一発勝負じゃないよ(by三浦先生)」
だから、真摯にからだと向き合い続けるのです。
一週間ありがとうございます。
明日からは、目に見える世界と目に見えない世界を行き来
する寺本実行委員です。お愉しみに!