昨日の続き
快適感覚を味わうための第一条件は、からだと心を通じて全面的なくつろぎの態勢がとれているかどうかである。からだのどこかに凝りがあっては快感覚の絶大な恩恵に浴することができない。何回も操体臨床を受けながら、いっこうにさしたる効果もあげ得ないような場合は、くつろぎの態勢を欠いているからである。道元禅師は中国で天竜如浄禅師から 「参禅は身心脱落である」 と教えられて悟りを開いたと言われているが、身心脱落とは、まさに絶対的なくつろぎの境地のことである。
ところでこのくつろぎであるが、これを得るのは決して容易なことではない。からだと心の両面からの工夫が必要になってくる。だがそれよりも大切なことは、神経の和らぎを得ることである。くつろぎの根本は神経の和らぎにある。この神経の和らぎを手に入れるには、バランスとリズムという生命の二つのしくみを知ることが必要である。
神経組織、なかんずく身心一体の機構の鍵である自律神経は、互いに働く交換・副交感の二つに分かれていて、この両神経組織が調和して働くときに健康は保証される。さらに左右両半身神経の働きのバランスも健康の維持に重大な関係がある。ところでバランスというのは 「静的」 なものではないが、互いに相反する働きの 「動的」 なつり合いの上に成り立っている。
生体のもつバランスは生命のリズミカルな動きそのものだといってもよい。生命のなだらかな流れの現れである全身的なくつろぎは、バランスとリズムという二つの条件が充たされないかぎり生まれてこない。しかし、くつろぎ自身もまた一つのリズミカルなバランスの中で緊張と拮抗している。快感覚時におけるくつろぎは、一方では動診からの動きを続ける緊張と対抗すると同時に、他方では自分の中に呼吸や心臓鼓動のリズムにともなう緊張と神経の和らぎという弛緩のバランスを包んでいる。
快感覚のくつろぎは緊張を背景とし、且つ内に含む総合的な態勢なのである。そして充分なる快を味わうことによって身心脱落という絶対的なくつろぎの境地が訪れることになる。これが操体臨床で言っている脱力後の爽快感だ。この脱力後の爽快感は呼吸においてそれを見てとれる。呼息と吸息とは一つのリズムを構成するが、この二つの息の間に休息の暇を挟むようになってくる。このことは気管の働きを調え、且つ新しい空気と気管内の残気との交替を完全にする。つまり、呼息〜止息〜吸息〜保息の四段の息からなる理想的な呼吸が操法の脱力後に爽快感とともに現れてくるのである。
明日に続く
2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定