橋本敬三師は、あの世はみんな行くところだから気持ちがいいところに決まっているヨ、と語っていた。
私は未だに聖書もろくに読み通していないが、実母は読んでいた(ミッション系の高校に通った)
40年以上経過したそれは、なぜか今私の手元にある。たまに意味もなく開いてみるくらいなのだが・・・。
「皆一つ所へいく 全てのものは塵から出て 全てのものは 塵に帰る」
〜旧約聖書 伝導の書 第三章29節〜
塵と言えば宇宙を思い出す。宇宙と言えば宮沢賢治氏の信仰観を思い出した。
「人や銀河や修羅や海胆(ウニ)は宇宙塵を食べ・・・」
〜春と修羅 宮沢賢治〜
宇宙を感じたければ、昼にも出ている星や月を感じてみるといい。大人も子供も見上げることを勧めたい。
星のかけらを採りにいく――宇宙塵と小惑星探査 (岩波ジュニア新書)
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意識が変われば大いに関係する。
私の実弟の父は、白血病と診断されて三年が経過した。
その義父はますます、嗅覚が非常に鋭敏になっている。誰かが個室に入ってきた瞬間に健康度を嗅ぎ取っているようだ。
それから骨髄移植して安定していた二年を過ぎ半年前に肺炎となり、現在は気管切開をして筆談の状態である。
実母はその枕元に日々通いながら、私にメールなどしつつ、自分自身をみつめて語る。
「私は今まで、この人とずっと一緒にいた気がしたけれど、今が一番、寄り添っているのよね・・・」
たまに返すメールに頻繁に届くメールで、最近このように伝えてきた。
残る蝉の抜け殻を集める私は、撤去されたシーソー跡で長男と近所の公園に居た。
「浮く落ち葉 流行る廃るに 我知らず」
〜敬郁、詠む〜
ひとりではなにもできない、ひとりが始めなければなにも出来ない。一人の中にある一人から始まる。
人間は、文化を持つ生き物であり、道具を使いこなし、それにより時間さえ創り出してきたといえる。
三次元を超え、過去も未来も、そして自分自身の関与できる現時点の今、行動によって何を得て何を失っているのか。
それを決めているのは紛れもなく、ひとりひとりの自己責任によって営まれていくのだから。
またある日の朝、銀杏の葉を纏める掃除をしていると、散歩中の人が尋ねてきた。
「ここではなにをしてもらえるんですか?」
「なんでも出来ますし、なんにも出来ません」と笑って答えた。
「ここがいたくて困っているんだけど、○○では何も変わらなかった」と言う。
「それはお困りでしょうね、ホントのこと知っている”からだは”かわいそうですが・・」と語る。
「なのでここでは・・・何をしてくれるんですか」と怪訝そうに言う。
「ええ、なんでも出来ますし、なんにも出来ません」と真面目に語った。
日々無軌道で落ちる銀杏の葉っぱに教わるせいだろうか、私自身ますます呑気になってきた。
万事、こんな感じで繋がっていたい。自然に親しみ、自然から学べる自分自身でありたい。
さて、最後にここで質問を一つ・・・これは何?(カミさま?)
・パワー、エネルギー、力である。
・普段は感じないほど、弱いのである。
・どんなに離れていても働くのである。
・全てのものに、等しく働くのである。
・幻のように、変化するのである。
・あまりにも、丁度よいのである。
・未だ、完全に理解されないのである。
(※この答は一番下に記載)
心配いらない。バランスを取っているんだ。バランス現象なんだ。人間は弱くなると強くなれることもある。
おおきなものに巻かれていても、無我夢中で周りが見えていなければ気づくことはない。
それを求めているのは、いったいどこのどなた様・・・なのか。
・・・今週のお付き合いありがとうございます。これにて最期となりました。
星の瞬く夜空を見上げてまたお会いしましょう。ご機嫌よう、有り難うございます。
明日からは日下実行委員によるブログです。お愉しみに!
(近所で観た超人のアルバイトを激写)
※冒頭のカミさま?とは・・・重力を考察したもの(『重力とは何か』幻冬舎新書、大栗博司著を参照)
2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催