東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

七日目 怒りは命さえも落とす。

昔、私と同じ時代に橋本先生の側で学んでいた人がいた。
ちょくちょく温古堂に足を運び、先生の面倒を見ていた方である。
ちょくちょく、一般向けの操体の本も出版されていた。
とても人当たりがよく、笑顔がいい。

ある何冊目かの本を出版されたと耳にし、書店で買い求め、しっかり目を通させていただいたのだが、
ところどころ、とんでもない勘違いをされている箇所があった。
目に余るところがあって、出版社をとおしてその箇所に、
どうおかしいのかと、一つ一つ説明書きをして、郵送したのである。

もっとも、操体法を学ぶ上で、その教本をなしている、身体運動の法則のとらえ方に、完全なミスがあったのだ。
多くの読者が目をとおす。せめて増刷される時に訂正していただければと、願ったからである。

出版社から郵送された、私の原稿を目にして、激怒し、命を落としてしまったのだ。
当時、他のことでも心配事が重なっていたと聞いているが、
私の文面を見て、共著に携わった相手にも、絶対三浦の言うことは効いてはならぬ、
訂正することもままならぬと吐きすてたという。

その後、共著の方とも手紙や電話でおだやかに話し合えた。
「どうも、三浦さんの言っていることが正しいように思う。しかし、どうにもならない」と、言われる。
遺作に対して、身内の了解がないと訂正できないという。
温古堂からも死に追い打ちをかけるようなことするな、といさめられる。
しかし、しかし心が痛まぬのかなと思う。

自分の父親が長年研究に研究を重ねて公表している内容に、反することが書かれていることに対して、
それを見とどけ、訂正する勇気がないのだろうか。もし、それを放任するのならば、誤りを認めてしまう。
それでもいいことになってしまう。
果たしてそれでいいのだろうか。
曖昧にしておいて、それでよいという問題ではない。今でもこの本の訂正はできていない。
違ったまま、読まれ続けていることに無関心ではいられない。
出版社も売れればいいで済ませられないだろう。
この原理原則の所で間違っていると気づいたのは、なさけないことに、当時二人きりであった。

この本は、橋本先生が重大なメッセージを残したあとの作品であったが、
この著者がとらえている楽と快の認識は、要点を得ていないものであった。
快のききわけが、楽かつらいかの従来の問いかけになっているのだ。
つまり、どちらのほうが快ですか、という問いかけにしてしまっている。

さらに、質問者の問いかけの章には、比較対照して、どちら側も快の場合、
どうしたらいいのでしょうか、との質問に、両方きもちがいい場合は、
両方ともやらなくていいと答え、楽と快をききわけている場合は、楽なほうにやれ、と答えている。

また、右手掌を外旋しているのに、同側の肩が上がり、頭が同側に向き、
同側の下肢に重心が乗っているイラストが公表されている。
これは、手の親指側を運動作用点として表現すると、このような連動性が生じてくるのだが、
そんなことも考慮していない風である、この本は始末が悪い。

仙台の常禅寺通りのケヤキ並木。

一週間ありがとうございました。

三浦寛