ある臨床家はこう語っていた。
どんなに治療が上手であっても、ただ覚えたことを繰り返すだけ
では、”記憶の樽”にすぎない・・・、と。
オカムラも、それだけは勘弁・・・その為に学び続ける。
そもそも、試験に合格するための勉強として考えた場合、筋肉
なら固有名詞を覚え、支配神経や主な運動作用と起始と停止を暗記
しておく必要がある。
つまり、言ってみればパーツとしての人体を丸暗記しておく作業に
陥りやすいのである。しかし、実際に国家試験に合格した後こそ本
当の勉強は始まっていくのだと言っても過言ではないだろう。
なぜなら、「あなたが訴えている筋肉の名前は○○です、云々」と、
覚えたことをただ羅列するが如く説明できたとしても、苦しむ患者
さんを目の前にして通用することなど無いに等しい。
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では、実際に臨床で必要になってくるのは何なのか?と聞かれたら、
色々あるが一つの指針として“縮退”という概念を挙げてみたい。
エネルギー本来の循環は一つの流れであって、自然な流れに逆らわ
なければ、おのずと一つの振動数には一つの流れが生じてくるのが
自然である。
しかし、患者さんは本来の身体のメカニズムを知らない、知らない
が故に、自然な筋肉の運動作用と異なった支点を用いてしまうこと
もありうる、つまり筋肉をパーツとして捉えて本来あるダイナミッ
クな動きの流れから分離してしまうということである。
その拘りを生じてしまうポイントこそが“縮退”場所であり、プラ
スエントロピー(退化)を生じてくるのだから、まさに、癖も筋肉
の一部に投影されており、“縮退”ポイントを私たち臨床家に訴え
ているのである。
要するに、身体の設計図を知らなければ、恣意的な動きを繰り返
してしまうこともあるので、日々の生活で少しずつ固執してしまっ
たともいえるだろう。
だからこそ違和感を訴えることになるのだが、その際どこに“その
方の支点”が生じていて“縮退”しているのだろうか?という大き
な視野をもって運動器系のみならず、全体的に身体を診させていた
だくのである。
「からだ」を丸ごと捉えて観る臨床では、”歪み”として映される。
では、ダイノセクションを通じた解剖実習によって、何がわかり何
が変わっていける可能性を持つのだろう。
それは、指導していただいた先生方が何度も解剖実習中に口に出
されていた、人体の「レイヤー」構造と、筋膜・腱膜・胸膜・腹膜
などによる「コンパートメント」との関係もその一つであり、試験
対策として学んできた情報を実際の臨床で体感的に映せるかどうか
であり、それに大きく関与してくる。
勿論、御献体は話をしない。
しかし、私たちの意思次第で非常に雄弁にもなるのだから、聞こえ
ぬ声を聞き取り、見えなかった世界を見せてくれる素晴らしい体験
なのは間違いない。
私は今回、解剖中に気づいたこと、ヒントとなるものを書き込み、
ノートに”血”や、ホルマリンや、何かの液体も付けてきたのだが、
「岡村さん、ノートと一緒に(日本に)帰っちゃうよ」と言われ、そ
の時「ドキッ」としたのは、そう感じたのは私だけじゃかったから。
物見遊山で行ってみるつもりも正直あったことは認めよう。
昔から解剖学で覚えたことを臨床に広げるのも得意では無かった。
そこを根本から覆した今、観る”不視”にヒトの肉体は感じられ、
まさに「からだ」と「身体」は違い、「からだ」とは全てを含有する。
人の肉体は死ぬのだが、生命そのものはそうとは想えない。
プラスの”エントロピ”ーには逆らっても仕方が無い。
それは一般的にいえば、無理難題というものだ。
三浦理事長は、ある日の個人レッスンで語ってくれた。
そうだったのか!想うに、命の”レイヤー”を知った瞬間でもあった。