おはようございます。
桜の花は美しい。
ぱっと散るから美しい。
儚いから美しいという人もいるだろう。しかし、ぱっと散っても次の年の時節が来れば、また咲いている。それも、より美しくなって。桜の花の美しさとは、内面の横溢するエネルギーが最良の時季に、外へ向かって表現されたものではないのだろうか。
以前のブログで大岡信氏の「言葉の力」というエッセイを紹介したことがあったが、その中で人間国宝である染織家の志村ふくみさんとのエピソードが書かれている。
志村さんは桜の美しさをそのまま染物に表現できる染と織の第一人者だ。志村さんによれば、染物の美しい桜色は、花からではなく、あの黒っぽくてごつごつした桜の皮から取れるのだという。それも一年中とれるのではなく、桜の花の咲く直前の皮からしか取れないのだという。まさに桜の花の美しさは内面の美しさでもあると思う。
桜の花が散るのも、その美しさの内面に横溢するエネルギーが最高潮に達した証として捉えてみたい。花が散るのはエネルギーがなくなったからではなく、その質が変化したということ。桜の木全体からしてみれば、せっせと根を張ることもしなければならないし、葉っぱもつけていかなければならない。寒い冬場には休眠期間をとってバランス調整しなければならない。
そうやって次の時節がきたら、また花を咲かせることができる。だから、消えてなくなりやすいとか、もろくて長続きしないといった儚いイメージではなく、その内面にはむしろ逞しささえ感じる。
その内面の逞しさとは、日差しをはじめ、そこから生じる温度変化など、諸々の自然環境の変化に、全体で適応していこうとする逞しさであり、潔く花が散るのも、その生命力の表れだと感じる。
厳しい自然環境の中でも、健気でひたむきな逞しさがあって咲き、そして散る花だからこそ、人の心根になにか訴えかけてくるものがあるのではないだろうか。それは儚さではないと思う。
「儚いから美しい」という言葉を聞くと、なにか危なっかしさを感じ、心配な気持ちになってしまうのです。
2014年4月27(日)
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