おはようございます。
遅咲きの今年の桜も、散り際を迎えている。
先週までは、美しく満開に咲き誇り、春の主役として親しまれていたのに…。
名残惜しい。
桜は美しさと儚さを併せ持つ。
美しく価値あるものだから、散り際は儚く感じてしまうのだと思う。
誰でも自分の人生があり、その人生は美しい。
美しいが、人生は有限。
その美しい人生の主役は自分だろうが、主人公は自分自身。
身がなければ、どうにもならない。
主人公には、本当の自分という意味合いもあるという。
本当の自分とは?
自分が主役としてどう生きるか、という面だけで考えていても埒はあかないと思う。
自分は、「どう生かされて、生きているのか」という自分自身への問いかけも必要。
自分のからだや、からだをとおして、どう生かされているのか?
問いかけながら学ぶ。
この学びは、日常生活をはじめ、人生を豊かで優しく美しいものにしていくと思う。
操体臨床も、そうしたからだからの学びなくしては、成り立たないと思う。