東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

調和へ。

おはようございます。 

 2、3日前に新聞を見ていて、ちょっと驚いた事がありました。その見出しには「盆踊りは騒音?イヤホン利用や密閉空間の練習」という文字が躍っています。
 盆踊りというのは、音楽や太鼓の音があって当たり前、それに合わせて皆で賑やかに踊るものだと思っていましたが、最近は変わってきているようですね。盆踊り会場へ行くと、無音なのだという。無音で浴衣を着た人達が踊っている状況。想像すると、なんだか幽霊でも出てきそうな感じがします。
 そうしなければ、音楽や太鼓の音を騒音と感じる人から、すぐに苦情が入るのだという。やむなく、音楽をトランスミッターを使って電波で飛ばし、踊り手は持参した携帯ラジオとイヤホンで音を聴きながら踊るようにしたのだという。そこから一つの音楽の電波を飛ばすだけでなく、複数の音楽の電波を飛ばようにして、踊りの隊列やスタイルも変えるアイデアに結びついたという。
 ある自治体では、踊りの輪を2重にし、外側の人達には「炭鉱節」内側の人達には「踊るポンポコリン」が聴けるようにし、そうすることで、逆に大人も子供も同時に楽しめ、幅広い世代の参加につながっているのだという。

 記事を読んでいて、個人主義もここまできたか、といった感があった。確かに、みんながそれぞれ、たのしめるのは良いことだと思うが、同時に何か、それで良いのだろうか、といった気持ちや、なんだか寂しいような気持ちにもなってきた。
 一箇所に幅広い世代の人が集まるのなら、同じことをとおして皆に益のある事が、望ましいのではないでしょうか。なにか、地域の伝統的なものを、年配層が子供や若い世代に伝える機会を、みすみす逃しているようにも感じます。
 代々受け継がれてきたものには、何かがある。それが自然の理念にそぐわないものであれば、すぐに消滅している筈なのです。
 お囃子の囃子言葉などは、遡ればヘブライ語の、神々への感謝や賛辞の言葉につうじるものがあるという。そういった言葉でリズムをとって発声し、からだを動かせば、その動きも自然と自然法則に見合ったものに近づいていく。内臓の働きも良くなり、普段食べているものでも、凄く美味しく感じられる。「息」「食」「動」「想」と「環境」の調和が、そこにはある。
 踊り方を知らない子供や若年層に、踊る愉しさを教える。若い人達も、教えてもらう有り難さを感じ、年配者は教えて引き継げる有り難さを感じる。有り難く感じるという事は、気持ちがいいことでもある。そういう場が少しはあっていいと思います。 

 盆踊りは夏の風物詩でもある。騒音として苦情を入れる人にも、何か理由があっての事と思うが、ちょっとの期間だけのことなのだから、なるべく大目に見てやってほしい。蝉の鳴き声がうるさいからといって、蝉に文句を言いに行く人はいないはずです。観の転換をはかり、おおらかで豊かな心をもつということも大切だと思います。

 勿論、個人の権利や主張は、尊重されなければならない。しかし、そちらばかりに傾くのはどうかと思う。それでは人間関係もギスギスしてしまい、ストレスにもつながってしまいます。 
 相対的に捉えると、どうしても個の利益、損得の思考が働いてしまい、対立を招く事となりがちです。それでは安心は得られない。そこから精神的ストレスを生じさせ、からだを歪ませ、さらに精神的ストレスを増大させ、病みの状態となっている人も多いのです。

 これからは個人を尊重しつつも、調和に向けた心の持ち方が必要です。相対的なものを超えた絶対的なものに意識を向けていく。絶対的なものに意識を向けるほど、今生かされて生きている、その有り難さが感じられ、心も安らいでくると思います。 

 ストレス学説を唱えたハンス・セリエは「ストレスに打ち勝つには”東洋の感謝の原理”にその秘訣がある」と説き、その原理とは「対立するものを生むのではなく、調和するものを生む哲学」としています。

  

一週間お付き合いいただき、ありがとうございます。
来週は、作務衣が似合い、浴衣や甚平も似合いそうな
中谷さんの担当となります。
来週も、どうぞ宜しくお願いいたします。 

友松 誠。