東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

〜操体と愛(3)〜

対象をどうにかしたいという思いは自然に発生します。
「どうにかしてやろう」というほど強くなくても
「なんとかしてあげたいな」と思う気持ちは皆持っている
と思います。

臨床においてもクライアントに対して
「痛みを取って楽にしてあげたい」
「不自由なく生活が出来るようにしてあげたい」
ほとんどの臨床家はそんな思いを抱いて治療します。

クライアントはクライアントで
「病気を治してほしい」
「症状を取ってほしい」
「痛みのない状態に戻してほしい」
そんな思いを抱えて来院されます。

だから結果を求めて一生懸命になります。
時には悪戦苦闘したり、結果に対して一喜一憂もしたり。
当然と言えば当然。それが臨床家の業だからです。
結果が伴わなければ次はない。
「終わりよければすべてよし」という言葉がありますが
臨床においても一つの側面を表していると思います。

結果的にお互いの利害が一致。その時点で相思相愛。
そのために研鑽し続ける。

操体以外にも素晴らしい臨床テクニックはあります。
操体臨床家でなくても達人、名人はいます。
結果に胡坐をかかず、自分の業と真摯に向き合う臨床家もいます。

ではなぜ操体を選択し、学び続けているのでしょうか?

対象をどうにかしたいという想いは
大きかろうと小さかろうと「欲求」でもあります。
対象をどうにかしたいという「欲求」は
その後自分に返ってくる結果(金銭や賞賛といった報酬)によって
満たされます。

もしもそれのみを求め続けるのなら、操体でなくてもよかったかも
しれません。そもそも臨床家でなくてもよかったかもしれません。

臨床家という道を選択し、ご縁があって操体と出会い、
その中身を体感すればするほどパラダイムシフトは起きました。

ずっと、結果を出すには「欲求」が必要だと思っていました。
「欲求」こそ、結果を出すうえでの原動力だと思っていました。

けれども「結果」を出すうえで「欲求」が邪魔になることがある。
人のからだが良くなるうえで施術者の思いが邪魔になることがある。
「欲求」に善悪は無いが何か大事なものが見えなくなることがある。

操体はそんなことを教えてくれます。
テクニックではないモノを教えてくれます。

イレギュラーを包み込む「愛」は
「終わりよければすべてよし」では見えてこないのです。

「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980