学んでいて「わからない」ことに気付く。
これは「深化」を後押ししてくれる機会になります。
一方で、「わからない」という状況というのは
「不安」や「不信」につながっていくこともあります。
特に、自分自身に対しての「わからなさ」
角度を変えて、自分に対しての不安感に姿を変える。
そういう経験を、何度となくしてきたように感じます。
繰り返しのなかで、やがて発見するのは
「わからなくていい」ということ。
たとえ「わかった」と感じたことにも、
その「先」が在る。
その先を知れば、さっきまでの「わかった」は
「わかっていなかった」「わかったつもりだった」に変わってしまう。
そういうものなのだと知りました。
まっすぐに学んでいて、素直に「わからない」ことを見つける。
それはまだ見ぬ、その「先」に、 すでに触れている瞬間。
「シンカ」に触れている瞬間なのだと思います。