お正月なのでお目出度い話題で参ります。
ボーイズラブ系の元祖というか、実際明治時代はお盛んだったようです。
橋本敬三先生の「小さき心」(大正時代に書かれた小説で、自伝的なもの)には
米澤と云ふ所はいやな風習のある所でその頃美少年であった自分はあすこの中学校などに入ると云ふ事はなにか恐ろしい事に出合ふ様に思はれたからでもあった。
これは、橋本敬三先生が米沢にいたことがあり、女生徒から来た手紙を親に捨てられるとか、なんだかそんな話ですが、「自分は美少年なので、ボーイズラブっぽい風習で有名な米沢の中学に入るということは、なんだか怖いぞ」と書いているのです。
その昔から、日本ではボーイズラブというのは、男子校とかお寺とか(お寺で男色を許したのは空海らしい)では結構ポピュラーだったのです。
というわけで、このマンガは、明治の上流階級の青少年の生活?を知るには非常に役に立ちます。橋本敬三先生が青春を過ごした時代を垣間見ることができます。
私はマンガ読みだったので、連載されていたLaLaは毎月買っており、単行本が出るとこれも買っていました。
え?Kindle版出てますか?!もう一度読んでもいいかも!
これは明治末期あたりの旧制高校の話です。
摩利というのは、お父さんが貿易商で伯爵、お母さんがドイツの貴族令嬢という文武両道の美少年。
新吾はお父さんが診療所を営んでおり、これまた文武両道の凛々しい日本男児。二人は父親同士も仲が良かったこともあり、息子同士も仲良しというわけです。
この、鷹塔摩利ですが、摩利、という名前は「摩利支天」からという話だそうです。
摩利支天というのは、天部の一柱です(カミサマは「柱」と数えます)。日天の眷属です。
天部というのは、摩利支天はじめ、梵天、韋駄天、帝釈天、毘沙門天、弁天、吉祥天などの「天部衆」です。
★仏様の世界というのは、「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」にわかれています。
私が摩利支天といって思い出すのは、上野のアメ横、知ってる人なら知っている(?)
初代林家三平師匠のCMで有名な「仁木の菓子」の上にある、摩利支天です。
摩利支天というのは、蓄財や護身の神様だったようですが、楠木正成は兜の中に摩利支天の小さな像を入れていたそうですし、毛利元就は摩利支天を旗印としており、山本勘助や前田利家も摩利支天を信仰していたと伝えられています。
また、「摩」という字は、切り立った崖と麻(麻は表皮を水に浸してすり潰す)と、手という意味から「手ですりつぶす」という意味があるそうです。
按摩の摩とか摩擦の摩ですね。
これは、私達のように皮膚に触れる職種にとって、わりと縁がある漢字かもしれません。