おはようございます。
私達は、からだが無ければ、この世で生きていけない。そして、この生身は他の生物の生命をいただき、食さなければ保つことができない。
他の動植物を殺して、食べる。子供の頃、豚のと殺を見た時の事を思い出したが、あの場面は凄絶だった。 雰囲気を察知して、大きな悲鳴を上げ、逃げ惑い抵抗する豚。やがて悲鳴が断末魔となって・・・それ以上の描写は控えますが、非常に生々しい現場。
スーパーでパック詰めされ、食品となった肉からは、あのと殺の場面は連想されない。しかし、それまで間違いなく生きていた。
肉に限らず魚でも野菜にも当てはまると思うが、それまで生きていたものも食品となってしまうと、途端に自分達の物という見方になり、イノチが忘れ去られてしまうような気がする。
食品は、食の欲望をかきたて、どんどん消費するようアピールしてくる。「お金さえ払えばいくら食べてもいいよ」という具合に。その場面になると、もうイノチを受け継ぐとか、つなげるという感じはなくなり、自分達の都合だけで物事が動く世界となる。
他の動植物の生死とか、断末魔の叫びとか、そういったことは見えなくして新鮮で活きが良いとして食欲に訴えてくる。そして、売れ残れば廃棄処分。
日本では、年間約2000万トンともそれ以上とも言われる食品廃棄物が出て、そのうちまだ食べられる状態での食品ロスというのが500万トン以上あると言われている。
「食」というのは、生命活動の入出力として考えた場合、入力エネルギーとなることは確かなのだが、呼吸のようにすぐに生命にかかわるといったものではない。「食」の入力が無ければすぐに動けなくなるとか、思考停止になってしまうものではないという事。自動車がガス欠したら、すぐに動かなくなるのとは違うのだ。
人間の食には品性が求められるのではないだろうか。肉食動物だって、やたらと他を捕まえて食っているわけではない。動物の方が慎みを識っているかも知れない。
食事の時の「いただきます」は本来「私は○○の命をいただきます」という意味だという。そういう意味も踏まえて、「いただきます」「ご馳走様でした。有り難う御座います」、という感謝の言葉とともに、イノチを受け継げることを、からだと偕に味わいたい。
2017年秋季東京操体フォーラムは、2017年11月23日(木)に開催致します。
テーマは「生エネルギーと性エネルギー」です。
2017年秋季東京操体フォーラム開催!