今、私が学んでいることの中で目まぐるしく変化していることは、
橋本先生の時代に使われていた「用語」が今、次々に死語化して消えていくことだ。
当時は必要不可欠な用語であった。
今は次々、新たにふさわしい「用語」に転換されている。
当時、生体のバランス制御を「楽」に定め、
動診・操法が問いかけられていた。
しかし、生体のバランス制御が「快」に転換されてくると、
それにふさわしい用語が必要になり、生まれてくるのは当然のことである。
「運動分析」から「感覚分析」に変わり、比較対称の分析ではなくなる。
患者の動きに対応した「抵抗」という表現ではなく、
からだの動きに対応した「介助・補助」という言葉に変わる。
瞬間脱力という表現もなくなり、
操法を数回繰り返す、操者による操法の、回数の決めつけも無くなった。
つまり、操者の決めつけが一切なくなり、からだに問いかけた。
からだの要求と選択を最優先、重視するようになっている。
この辺で一先ずとどめておこう。
私達が続けているブログもかなり注目して読んでいる人たちが増えているようだ。「楽」をバランス制御に定めていたのでは、もったいないことだ。
さらなる可能性がその先にある。
何を基準にし、何を生体のバランス制御に定めて操体法をみているのか?である。「楽」ではないことは確かである。