昨年の夏の終わりには、湘南地方にほとんど雨の降らない台風が来た。
とてつもない南風は、湘南地方の海から潮を巻き上げ、広範囲に塩を
大量に含んだ風を北へ北へと飛ばした。
その後、南の窓には塩がべっとりとついて、我が家の自転車は錆びた。
秋になり、例年紅葉する銀杏並木の道はあまり色が付かなかった。
緑色のまま落ちる葉も多く、鮮やかな黄色というよりも茶に近かった。
真っ赤な紅葉を期待して出かけた人達も口々に、「台風で海からの風
を直接受けてしまったところは全く紅葉がなく、茶色になっていた」
と、さびしそうに私に言った。
このような紅葉していないことによる不満の声は、何故なのだろう。
いつものように、徐々に変化している四季の訪れは安心感を抱かせる。
けれども、よくよく葉っぱを拾って並べてみると、同じ木の葉っぱも
まちまちの色合いで、紅葉著しい葉っぱもあり、緑を残して散る葉も、
個性的な色の混じりあったグラデーションの葉もある。
同じものなど、この自然界には1枚も見つからないんだよ。
そして見ただけではわからない、手に触れて初めて感じる事もある。
皮膚に乗せる。擦り合わせると香る。
「からだ」を通して手に触れて初めて見つけることのできる根源。
自然の観察は、目ではなく、耳ではなく、舌ではなく、皮膚で始まる。
私たちの祖先が、子孫へとつなげてくれた大いなる記憶は満ちる。
別世界のような出来事として、数億年前と、数百年前と、決めつけず、
深化して進化する、その理由を受け入れるのも「からだ」の皮膚感覚。
私たちが生かされている、この宇宙を創造した「神」を感じる意識を、
いいとか、わるいとか、一切排除しても構わなかった時代からの宝物。
では、今日はこんなところでまた明日見て下さいネッ!。