今も継続していただいている三浦先生との個人レッス
ン。
レッスンが始まったばかりのころは、毎回レッスンの頭
に臨床を受けるところからのスタートでした。
人にやる前に、まず自分が味わってみないとネ。
というわけで、皮膚を介して「からだ」がききわけてい
る「きもちよさ」をウンと味わうことができました。
なぜ、「きもちよさ」でこんなにも変わるんだろう?
そもそも「きもちよさ」ってなんなんだろう?
この体験が「憶の快ってなんだろう」という問いの原点
だったのかもしれません。
定まっていないものを追求できる悦び。
生かされていることを自覚し、共に生きているものたち
と同期のリズムを刻み、「からだ」のデフォルトに感謝
することができるのも、「快からのメッセージ」があれ
ばこそ。
そのメッセージは、個々人の主観的体験に修飾された
「きもちよさ」のなかにではなく、「からだ」がききわ
けている「きもちよさ」のなかにある。
ですから、僕たちは「からだ」にききわけるのです。
それが「からだ」の治癒力につながっているのですから。