最近は以前に比べ、自分の時間が取れるようになったので、毎日決まった時間に決まった場所で自分の好きなことを学ぶことが出来ています。
そのルーティーンの中で時にいつもと同じような環境が確保出来ないこともあります。
そういった時に感じるからだの感覚というのは落ち着きがなく、書き物をしていてもいつものように言葉が降りてきません。
そのような違和感に近い感覚を聞き分けてしまうのは、自分の身の回りの環境、そして時間が自分のからだに合っていないからだと感じます。
こういった感覚は無意識レベルでからだが聞き分けているものであり、いつも行っているルーティーンというのは本能的に自分のからだに合った環境、時間を私のからだが選択してくれているから苦もなく出来ているのだと思います。
これは理屈や理論では証明出来るものではなく、日々著しく変化している環境との一番良い向き合い方を常に選択するセンサーが命に備わっているからであり、それが自分の蓄積されたデータからではキャッチすることが出来ない「憶」からのメッセージなのではないでしょうか?
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です