最近友人の赤ちゃんを抱く機会が多いのですが、なぜ赤ちゃんは泣くのかと考えます。
大抵、私が抱くと泣かれ母親に変わってもらうことがほとんどなのですが、私とお母さんの違いについて真剣に考えていました。
顔を隠して抱っこしてみたり、服の色を変えてみても、いち早く母親以外の人間だと察知するようで、これはどんなに私が母親の真似をしても見抜かれるようです。
そういった試みを繰り返していく中で気が付かされたことは赤ちゃんは生まれてからの記された記憶ではなく、母親の胎内に居た時の情報が感覚のベースになっているように感じます。
その感覚に限りなく近くなった時は泣き笑いを通り超えた穏やかな表情をみせているようです。
またとても興味深いのは赤ちゃんの周りの空間はどんな人でも笑顔になれることです。
無垢な赤ちゃんが作り出す空間もまるで人のストレスを癒す点において操体の臨床の空間と似ているように感じると同時に私達臨床家にとって空間作りというのはとても技術以上に大切なことのように思います。
「憶の快」と赤ちゃん。奥が深いです。
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です