本日は臨床における「憶の快」に話を戻し、思っていることを書いていきたいと思います。
臨床の中で被験者と共にきもちのよさを味わっていると、色が見えてきたり時に過去の記憶が蘇ることがあります。
それは自分が患者として操体の臨床を受けている時も感じることです。
その時に見る色はその時々で変わってくるので覚えていないことが多いのですが、過去の記憶に関しては自分があまり思い出したくない記憶が多いように感じます。
なぜ快適感覚を味わっている時だけこういったことが起こるのかを考えていくと、からだに聞き分けた快適感覚はからだという現象物体だけでなく、時間の経過と共に生命の記憶とも繋がってくるのだと考えられます。
特に私のように過去の苦い記憶がフラッシュバックするのは、その記憶が現在の私のからだの歪みと何らかの繋がりがあるからだと思います。
そういった現象をからだや臨床の空間が見せてくれるのが快からのメッセージなのかもしれません。
そのメッセージを自身がどのように受け止めていくのかが「憶の快」という命の源に繋がる糸口なのだと思っています。
2019年春季東京操体フォーラムは4月29日の開催です。
テーマは2018年秋に引き続き「身体芸術と操体」です