「楽と快はちがう」どう違うのか、そして動診と操法にどう快の問いかけを生かしていくのか、そして「感覚を重視しろ」と話されたこと、これは運動分析から感覚分析への転換を求めているのであった。そのことを書き示したのが、この処女作である。
しかし、未だ多くの者は先生のこのメッセージに対応できずに混迷しているのである。
感覚分析とは右脳的な捉え方である。
思考的(左脳的)なとらえかたではなかなか理解できない。そもそも理解するものではなく感覚するものであり、からだにききわけてわかることである。
年月をかけ学んでいくうちに、その都度、その都度、新たな課題をつきつけられる。それが操体の学びの深さなのである。
妥協していられないんだね。
操体を学びつづけて思うことは、操体とは人間(個人、人類)にとって、いつの時代も必要不可欠な智の財産だなと思う。
智の財産に含まれるものは、何百年、何千年も前の先人達が残していた書物に触れても、ありがたく尊いことである。
どうありがたく尊いのかは、一人一人の人生の中で、つかんでいくことですネ。
つかんだものには、確かな意味がある。
一週間ありがとうございました。明日からは三浦寛幸が担当します。