それだけ予約が入っていたということは診立ても、臨床の腕も上がっていたのであろう。
しかし、自分の時間は極端にそがれていた。
まさに酸素不足のコイだ。
では脳ミソが腐らぬ手段はと考える。そうか、自分が学んだことを本にすればいい。
操体に関する作品を本にまとめていくこと、それが39歳で柏樹社の社主中山信作社長から「君が考えている操体法を本にしないか、橋本先生の承諾は得ている」という誘いであった。
それが第二分析の問いかけをテーマにした「操体法治療室」であり、私の処女作である。当時先生が85歳、第一線から手を引いた年、先生は操体法の新たな認識(テーマ)をメッセージとして話されたのである。