「おおよそ,「調」は「何かをするため,始めるための必要なもの(状態,条件)をそろえる。」「物事がまとまる。成立する。」という意味で使われ,「整」は「乱れたもの,まがったもの,くずれたものを正しくする。なおす。きちんとする。」という意味のときに使われている」
なるほど、。
また「調」は、和合、「整」は、きちんと整列させる、という意味があるようです。
ちなみに、いわゆる「整体師」が、操体を勉強するうちに「整体」という言葉を使いたくなくなってくることがあります。
私は何人もそんな人を見ているのですが、「○○整体院」という屋号を変えたくなってくるのです。
それは、「操体」が分かってきたから。分かってくると「自分がやりたいのは操体だ!」という意識がどんどん大きくなり、屋号から「整体」という字を外したくなってくるのです。私のところは大昔は「療術院」でしたが、今は「研究所」になっています。これも「やっぱ療術ってのもちょっとフィットしないかもなぁ」というところで、三浦先生にならって「研究所」にしたのです。
そんな意味で操体を考えてみると、整体の「整」は、やはり、歪んでいる筋骨格系をきちんと整列させる、つまり他力的な感じがします。
はい、肩の高さ、揃った!骨盤の傾き、揃った!足の長さ、揃った!
という感じです。
やっぱり、操体っぽくないですよね。
★「操体っぽくない」というだけで「整体」に文句をつけているわけではないので、ご容赦下さいね。
整体と操体は、この辺りも違う、という話で、操体の「本質」がわかってくると「自分がやっているのは整体じゃない」という気持ちが沸いてくるということです。
これを操体で言うならば、例えば、肩の高さが左右違う場合。
我々ならば「右肩が下がっているから悪い。だから左右整える」のではなく「右肩が下がるには、理由がある。それはからだの事情であるし、からだは左右対照とは限らない。今、右肩が下がっているのは、バランス(調和)をとっているあらわれである。しかし、それで辛いならば、遠方(例えば足から)からもバランスをとるようにアプローチしよう。
というように非対称であるからといって、それを「対称的にきちんと整列させる」ように他力的に矯正したりはしません。
非対称でも「それはそれなりに理由がある」とみて「あっていい歪み」「あったらよくない歪み」を見極め、あったらよくない歪みでも、敵視はせずに、周囲と上手くバランスがとれるようにします。
なんだ。私が「操体」を知ってから「整体」という言葉を使うことに対して違和感があったのは、「言葉の意味」もあったんですね。
まあ、世の中には「操体っていってもわからないから、整体って言ったほうが人の受けがいいんじゃない」という人もいますが、受けがいいとかという問題ではなく、やっぱり「整体」ではないのです。