東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

五日目。正しい、ただしくない

私は易者もやっているもので(操体の臨床とはそれほど変わらないことをやっています)、いろんなご相談を受けるのですが「正しいほうを教えてください」というのが多いなあ、と思うことがよくあります。
 
例えば、今の会社にいるのがいいのか、スカウトされている会社に行くのがいいのか、知りあいが新しく立ち上げる会社がいいのか、正しいのはどれですか?
 
という感じです。
 
今の会社(業績がよくない。肩たたきもされている)
スカウトされている会社(結構期待されている。大変かもしれないが、頑張れば業績は上がりそう)
知りあいが立ち上げる会社 収入は今より減るが、知りあいの会社なので、気持ち的にはラク
 
 
こんな感じなんですが「正しいのはどれですか」と言う場合、「正しい」ってどういうことなんでしょう。
例えば「お金」が正しくて損得ならば、スカウトされている会社で必死にがんばる。
慣れ親しんだ知りあいと、会社を立ち上げるのを手伝うように、気持ち的なものを優先するなら。
 
つまり、正しいっていうのは、算数とか公式でない限り、違ってくるんです。
 
昨日の大嶋信頼さんのブログですが、
 
「合っている or 間違っている」や「善 or 悪」なんかの判断も小腸の影響を受けるのかも?なんて面白いことを考えてみます。
 
という箇所がありました。
 
もともとというか、操体を勉強していると「正しい、間違ってる」「損得」ではなく「好きか嫌いか(快か不快か)」で物事を考えるようになります。
 
「イクラはプリン体が高いから食べない」(正しい)。「イクラは高いから、納豆巻きにする」(損得)「イクラは好きだから食べる」(好き嫌い・快不快)
 
 
花粉症がどっと増えたのは、もしかすると「正しい 正しくない」「善悪」の判断をする機会が増えたというのはあり得るような気がします。
 
なぜなら「正しい、正しくない」「損か得か」という二極思考にはしると、人間、辛くなるからです。
 
そして「正しい、正しくない」という二極に走ってしまうと、おなじみ?の「白か黒か」になってしまいます。
 
 
以前、三浦先生がそれまでのやり方を「がらっと」変えたことがありました。
その時、ある人は「今まで習ったことは無駄になるんですか」と先生に詰め寄ったのですが、私はその時「キモが冷えた」のを覚えています。
その方は、普段の話を聞いていても「白か黒か」みたいなところがあったので、「無駄になる」というような発言になったのだと思いますが、勿論、無駄になるわけがありません。
 
私自身も三浦先生に師事するまで用いていた『連動操体系の操体法』がありましたが、先生に師事すると同時に、封印というかやるのをやめて、教えるのも止めました。
 
そこで15年くらい経って、そろそろ自分の理解も深まってきたので、大丈夫だろうと、封印を解いてみたのですが「昔習ったことが無駄になる」のではなく、その後の自分の成長に従って、封印していたものが「熟し」「発酵し」「醸されて」、さらにパワーアップして甦ってきたのです。
 
また、今我々が勉強中の「第五分析」ですが、これも「今までの第四分析って間違っていたんですか」と言う人がいてもいいくらい、変化しています。
しかし、それは「今までのものが間違っていた」のではなく、「いままでのこと」の上に「未来がある」。
 
 
私達が第一分析から学んできたことが、大河ドラマのように、絵巻物のように流れ流れて、第五分析に至るということなのです・
 
なので、当然ではありますが、第五分析から勉強する人よりも、第一分析から歴史的に操体を勉強してきた私のほうが(まあ、やってる時間も長いですが)体系的にとらえることができているのです。
 
これから操体を勉強する方は、是非、操体の歴史を踏まえて「第一分析から第五分析まで、全部できます」くらいになって頂けるといいなと思います。
 

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