「般若身経」は操体の臨床家、または実践者にとってみると、一種の「型」のようなものでもある。
シンプルかつ効果的な内容であるがゆえに、身につけるより早く、学んでいる事を「応用」してみたくなることも多いけれど、「般若身経」を「型」として学習している間はこれはご法度である。
理由はいくつかあるけれど、まず挙げるとすれば、自分で「できた」と思っていても、実際は「できていない」ことが多いからだろう。わかる人の目に晒されながら、本当に身につくまでの我慢は必要だ。
しかし、「般若身経」を説明する時に、この「身につける」という言葉を使うのも、よく考えてみると不思議な言いようのようにも思えて来る。
「からだの使い方、動かし方のルール」を学ぶということは、そもそもからだに備わっているものに目を向けるということでもある。からだにとってみれば「身につける」までもなく、「身についていた」はずのもの。
誰が身につけなおしているのか、よくよく感じながら学習を味わうことも大事だと思う。