当時の職場は土日が休みだったので、毎週土曜日にレッスンを組んで頂いた。時間に追われることなく開始できたことはありがたかった。
レッスン当初は、三浦先生にからだを診て頂くことが多かったのだけれど、ここで大切なことを教えて頂く。
レッスン開始から一ヶ月が経った頃、いつものようにからだを診て頂いた後、「今日はどうだった?」という三浦先生の問い掛けに、
臨床後の余韻にぼうっと浸りながら、「この前やって頂いた時の方がきもちよかったです」と口にした。
この時のことは今でもはっきりと記憶に残っているし、昔のノートを見返すとちゃんと記録にも残っている。
~「快の感覚」、自分のからだ、瞬時、他者や前回(以前)のきもちよさと比較すべきものではない、その都度、その都度、からだにききわければいい、快に優劣はない~
操体、操体法の初学者は、きもちよさを頭で理解しようとしたり、探そうとしたりすることがある。
それは、一度味わった「本人が感じているきもちよさ」が、その人のきもちよさの基準になってしまうからだろうと思う。
そのきもちよさをもう一度味わおうと、あれこれ思考し、探してしまう。
そのきもちよさを一つの基準にして、優劣をつけて比較してしまう。
この時までの「私」は、まさにそのような「私だらけのきもちよさ」の中で勘違いしていた。
ここから、「からだにききわける」学習が始まった。