前日の記事に引き続き、私事から始まりますが
昔はどうも同世代の人と話が合わず、
年上の人と話をするのが好きでした。
いま、思えば、自分が興味をいだいていることについて、
私の言葉が追い付いていなくても、受け止めて、ちゃんと返してくれる。
それが無性に嬉しく、またそういう会話がたのしかったのだと思います。
私が操体を学んでいる理由のひとつに、
この「受け止めて、ちゃんと返してくれる」学問としての器の大きさを感じることが挙げられます。
今のところ、自分の好奇心と、探求心を思う存分に開放しても、
「操体」のなかで話ができています。
今まで生きてきて、いまが一番、遠慮のない創造力を動かすことができていて、
そういったことを、お互いの言葉で語り合える同志がこの学問の下に集まっている。
学ぶことに関しての器の、懐の大きさ。
これも、創始者から脈々と受け継がれている、操体の魅力のひとつだと感じています。