昨日の続きになりますが、私が入院した時に母や担任の先生から受けた安心感は現在の臨床の核であり、一つの指標にもなっているように思います。
「どうすればあの時のような安心感や心の安らぎを患者とからだに提供出来るのか?」
4,5年前まではそんな理想を常に追い求め臨床に望んでいました。
培ったスキル、思いつくアイデア、考えられる全てをぶつけていたのだと思います。
患者のからだが悦んでも自分のからだは悦んでいない。
何か消耗しているような感覚。
結局はどんなに良い臨床をしても互いのからだが悦ばなくては良い臨床ではないということです。
そんな互いのからだが悦ぶこと。それが「ひだり」でした。
それは何も特別なことをするのでなく「ひだりを意識する、ひだりに居る、ひだりに委ねる」というだけです。
それだけで互いのからだは安心し、呼吸が安定し、からだも変っていく。
そしてそれまで自分が見ていたもの、またからだが見せてくれるものも変わり、臨床がとてもシンプルになっていく。
それだけで「何かをしなくては」「もっとよいものを」というような施術する側のエゴも消えていくように感じました。
もしかすると当時の母や担任の先生は無意識にこんなことをやっていたのかもしれませんね。