「何となく使いやすいから」というシンプルな理由で使っていた左。
小学校の時にしていた野球やその他の競技でも右手でやろうと思えばやれたとは思いますが、右を使わない理由が当時の私にはありました。
以前に少し触れたことですが、小学校の時に原因も病名も分からない目の病気を患い、一ヶ月程入院したことがあります。
その時のことは今でも鮮明に覚えていますが、からだのどこかが痛むというのは全くなく、ただ眼球が動かせない状態が続いていました。
特に左の眼球が動かせないという感覚があり、左の視界が極端に狭くなっていたように思います。
左の視界が狭くなったことで動くということ影響がありましたがメンタル面でも人の優しさを受け入れられなくなっていたように感じました。
そんな状態の自分にいつも左側から優しい声をかけてくれたのが母と担任の先生でした。
それ以降「ひだり」という空間に誰かが居てくれる安心感を知り、そして「ひだり」が人と人との繋がりにおいて重要な役割があるのだと無意識的に学習していたのだと思います。
それからの自分は「ひだり」の世界の中で生き、そしてその世界から受け取れるものを「感覚」として大切にしてきました。
その経験の中で得たことが現在の操体の学び、そして臨床に大いに役に立っています。
明日に続きます。