東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

(五日目)シンメトリーとアシンメトリー その3

それなら、神社の鳥居はどうなの?と言われたので、考えてみます。
 
鳥居の起源には諸説あるので、いちいちは述べませんが、いずれにせよ、元々日本の神社というのは、木や岩や山自体がご神体だったりして、左右対称でなかったのです。
また、天照大神が岩戸に隠れた時云々とういうのもありますが、当時の岩戸は岩穴を岩板でフタをしたものだと思うので、これもまた左右対称ではなかったでしょう。
そして、仏教伝来とともに(聖徳太子の働き)、日本では仏教を重んじるようになりました。
現在の「国家神道」は、明治維新以後のものなのです。一般的な「二礼二拍手一礼」も、実は明治以降に制定されたものなんです。
 
明治政府が、廃仏毀釈などで仏教を弾圧したのは、徳川幕府が仏教を政治的に使っていたからでもあり、仏教は、明治政府にとっては「にっくき徳川のツール」だったので、日本の仏教界は、維新で苦汁をなめたのです。
 
話を戻しましょう。
日本人は「自然を崇拝しており、自然の摂理である”死”を受け入れてきた」ということです。
それが「非対称性」あるいは「破対称性」指向になってくるのでしょう。
 
そういえば、バロック・パールというものがあります。
真珠は、完全球に近いもののほうが、価値があるとされていました。
 
古代の日本人も、真珠を身につけていました(限られた人ですが)。
私が小学生の頃まで住んでいた千葉市は、海沿いということもあり、近所に貝塚が結構ありました。
古代の人々は、海の近くで貝を食べていたのです。その貝の中から、丸い美しい球が出てきました。それを飾り物にしたのです。
彼らが完全な球を求めていたトは考えられません。勾玉(まがたま)は、胎児の形を模していると言われていますが、多分、完全な球などにはこだわらなかったのではないでしょうか。
 
それが、西洋では、完全球に近いもので、色はピンクやクリーム色が珍重されていました。
黒真珠や形がいびつな真珠は、わりと敬遠されていたようです。
しかし、それに光が当たったのが「バロック」です。
 
バロックの語源は、名前通り、歪んだ真珠、という意味のバロッコというポルトガル語だそうです。
 
ちなみに、明治時代まで真珠は、自然界にあるものを採取していましたが、真珠の養殖に成功したのが、御木本幸吉です。
伊勢にあるミキモト真珠島には何度も行ったことがありますが、真珠を養殖しようというのは、なんとも凄いアイディアだと思いました。それまで、自然にお任せ(貝が異物を飲み込んで、それを核として真珠ができる)していたものを、人間の手で核入れを行うようになったからです。
 
ルネサンス(この場合は、ギリシャ、ローマ時代の古典文化を復興しようという運動。14世紀末から16世紀)の後、16世紀後半から、18世紀に起こりました。
元々は「もとは曲線の多い装飾的な建築や装飾に侮蔑(ぶべつ)的に用いられた」そうです。
 
バロック(バロック音楽の時代も同様です)の時代と、日本で織部焼きが評価を得だした時期が16世紀辺りというのも面白いのですが、人間は、自然(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)の間を行ったり来たりしているのかもしれません。
 

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2021年秋季フォーラム

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テーマ「アートと操体」