1週間にわたってアートと操体について書いて来ました。
今回改めて分かったことは「自然(神が造ったもの)はサイエンス」「アート(人間が造ったもの)」という明確な区別でした。
まあ「自然の芸術」と言ったりはしますが、その自然も、実は国立公園で人の手が入ってたりします。
人類未到の地以外は、アート(人間の手が加わっている)のかもしれません。
私が今回興味を持ったのは、橋本敬三先生が、アーティストでもあったということ。
アートの歴史をみると、人間は「自然の摂理(死)」と、「自然の摂理からの脱却」(不死・完全)の間で揺れていたようです。
さて、操体を理解する上で、大事な言葉があります。
それは「不自然の自然」。
おばあちゃんの曲がった腰を、操体で伸ばせないかというご相談を受けたことがあります。
おばあちゃんは、べつに悪いところもないのですが、娘さんが「腰が曲がっていて姿勢が悪く見えるから」というのです。
この場合(操体ではなく)他力矯正的に背骨をどうにかするとか、脊柱の手術をするということもあるでしょうが、おばあちゃんのからだのことを考えると、あまり現実的ではありません。
スポーツ選手なども、職業的なからだをしています。
専門的職業的なからだをしている人を、無理矢理枠にはめて矯正したりすると、結果が出せなくなったりします。
神が創造したもの(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)は、常にバランスを取っているのです。
「アート」っていうのは本当に大きなテーマだな、と感じた1週間でした。
ちなみに、操体はアートだと思っています。
1週間ありがとうございました。
明日からは、三浦寛先生の担当です。