おはようございます。
もう、20年近く経つだろうか、本格的に操体を学び始めて何か月か経った頃の事。
触診についての講義を受けていて、師は「時間のある時、植物の葉っぱを触って触れ合ってみるといい」というような事を仰っていた。
師の視診、触診は本当に見事であり、ヒカガミの圧痛硬結、脊柱配列の異常は勿論、米粒よりも小さな圧痛硬結も的確に捉え、被験者から瞬時に悲鳴があがるという具合だった。
その見事さに少しでも肖りたくて、私も自室の観葉植物は勿論、外出先でも葉っぱを見ると触ってみる習慣がついたように思う。
葉っぱを触ってみる。薄くて、やわらかくて、触れ方によってはポロリとこぼれてしまうような葉っぱを触ってみる。
気を配り、やさしく接しなければ、触れる事さえままならぬものもある。
接するとか、触れるという行為は、こちら側からだけの一方通行ではいけない。
あちら様の都合もある。
接触できて有難いという気持ちも必要。
やさしく接するから、みせてもらえるものがある。
やさしく接するから、鎧を脱いでもらえる。
やさしく接するから、弱いところも含め、ありのままをみせてもらえる。
これは、触診はじめ臨床に限ったことではないだろう。
師は、そこまで口で仰らなかったが、その気配り、所作、作法がそう語っていたように思えた。