おはようございます。
私たちをとり巻き、一人一人に影響を与えている環境。
この環境には、自然環境、社会環境、人為的環境があります。
昔と違って今は、ほとんどの人が病院で産まれ、病院で亡くなります。
その亡くなり方も、まだ生きようと動いている臓器があっても、ある一定基準のもとに人為的に死亡の判断が下され、火葬されて遺骨になり、住民票も除票となる。
その様な人為的、社会的環境が優先された環境に生まれ、そして亡くなっていく。
その為か、生き方も社会環境への適応が優先されるようになってしまっているように思える。
また、そのように子供の頃から教育されてしまっているようにも思える。
日本には、かつて優生保護法という法律も存在していた。
社会環境への適応能力が不良とみなされれば、子孫を持つ事は許されない。
そのような法律が平成8年まで存在していた。
それで民主主義といえるのだろうか。
私たちは、単に社会環境の固定的なシステム構成要素の一員として、生まれてきているのではない。
私たちは自然から生まれ、一人一人が大きな可能性を秘め、影響を与え合う。
その影響の与え方は、縛りの無い無限の可能性を持つ自然からしたら、良いも悪いも、良も不良もない。
すべて良し。生まれてきた、ただそれだけで既に良し。
後は、その良しを、より良く、より良くする為に生きていくだけ。
呼吸の仕方が良くなり、感じ方が変わる。それだけで表情や表現が変わり、まわりへの影響は変わる。
そして、その良さは、より良く伝播するものなのだから。
無駄なもの、不良なものなど元々ない。
全てを肯定しているのが自然であり、その自然環境への適応こそが第一義であらねばならない。
その為に、自然から学ぶ。
高度に発展した今の文明社会も、元々は自然から学んで、その仕組みや法則性を応用したものなのだから。