おはようございます。
「病気に打ち勝つ」という言葉を時たま聞きます。
この言葉に、今回のテーマである「治癒」を当てはめると、病気に打ち勝つイコール治癒なのかな、とも思ってしまう。
しかし、そう思いながらも何か違和感を感じるのです。
病気を悪者に仕立て、病気と戦い、そして打ち勝つ。
この構図は、なんだかカッコよく、病気になって気持ちがふさぎ込んでいても、勇気と希望が湧いてくるような感じがします。
しかし、その悪者である病気は、ある日突然どこからかやってきたのでしょうか?
そうではない筈なのです。
自分が自分のからだに対して、ストレッサーを与え続け、それがストレスとなって何らかの警告をからだが発していたという事はなかったのでしょうか。
端的に言えば、自分で病気の芽を招き入れ、病気へと成長させていなかったでしょうか?
そういった観点も必要だと思うのです。
そういった観点なしに、自分の行いは悪くなく、悪いのは病気なのだからやっつけてやれ、というのは何かおかしい気がする。
これで、病気→治療→治癒と順調にいったとしても、同じ事を繰り返す、はたまた次はもっと深刻な状態となってしまうかもしれない。
病気→治療→治癒の構図ばかり教える治療医学だけが、一般に知れ渡っている状況では「病気と戦う」「病気に打ち勝つ」というような考え方になりやすいように思える。
しかし、戦って勝っても、こうした考え方をしている限り、また戦いの機会は訪れる。
その度に医療産業は、薬をはじめとした戦う武器を提供するのだろうが、肝心のからだが疲弊して「もう戦いたくない」となったらどうするのだろうか?
戦わずにすむ考え方や、方法もなければならない。
病気という敵をつくらない。すなわち病気になる前の段階の未病の段階で、速やかに健康に復する事。
こうした未病医学、健康医学も知れ渡る必要があると思うのです。