東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

うみのきおく 4

海の水はしょっぱい。

このことがとても不思議だなと思う。

 

忘れもしない、小学校のプールの授業。

プールの水はしょっぱくなくて、塩素がしっかり効いているあの感じ。

 

泳ぐのがあまり得意でなかったので、プールサイドを足の裏で感じるあのザラザラした記憶。思い出すと独特な想いが蘇る。そういえば、今でもたまにプールサイドは夢に見ることがあるような気がする。

 

このプールの授業が少しイヤなものでなくなったのは、父親に連れられて学外のプール教室に短期間通ったことがきっかけだった。その教室で「浮く」ことを教えてもらえたことが転機になる。

 

バタ足、クロール、平泳ぎにまるで手ごたえのなかったところに、「背泳ぎ」という表裏が入れ替わるトリッキーな変化球がやってきた。

 

これが妙にからだにしっくりくる感じがあって、「これだ」と飛びついた。顔が水から常に出ているので、呼吸もしやすいのが嬉しかった(今、思い返せば、当時クラスで2番目くらいにぽっちゃりしていたので、ある面では沈みやすく、またある面では浮きやすくもあったのだろうと思う)。

 

背泳ぎという武器があったおかげで、プールの授業でクロールが遅くても、平泳ぎが全然進まなくても、へこたれてしまうことはなかった。

(跳び箱は高いの飛べないけれど、伸膝前転はなぜかできる、という感じに、実感としては近い。これも手が長くて座高も高くて、足が短かったからだよな、と今では納得している)。

 

にしても、泳げなくても、浮いてはいられるよね、という実感が、その当時どれだけ救いになったことか。

 

「背泳ぎ」を通して「浮く」ことを覚えた私は、そのあと海でもこの「浮くこと」を試してみる。

 

プールとは違って、海にも支えられているようなプカプカ感が不思議だなぁと、ぼーっと空をながめながら浮かんでいたのを思い出す。

海の水がしょっぱくなければ、くるっとひっくりかえって、あの海に支えてもらっている感じも味わえないのだ。