おはようございます。
先日、コンビニでトイレを借りようとしたところ、先客があったので近くにあった雑誌をパラパラとめくっていました。
すると「昭和の夏休み」と題した写真の特集があり、当時の海水浴の状況が写し出されていました。
子供から若者、中高年の皆さんまで、とにかく楽しそう。
そして、密、密、密のイモ洗い状態。
今のコロナ禍の状況からは、考えられないような混雑と盛況。
思い返せば、私が子供の頃の昭和4、50年代というのは、一億総中流と呼ばれた時代であり、衣食住の暮らしの水準がみんなと同じでなければ嫌だ、同じようだけどちょっとだけ優越感を持ちたい、みんながそういう意識を持っていた時代だったように思う。
車にしても、どこの家でも持つようになれば、うちも持たなければならない、どうせ持つなら付加価値の付いたものがいい。
当時、車の窓ガラスは手動式が多かったが、どうせ買うならパワーウィンドウの付いたのがいいとか。
レジャーにしても「夏と言えば海」というのが、決まり文句のようであった。
軽井沢などに別荘を持って山の方に避暑に行く人は対象外で、ほとんどが「○○さんちが海に行って来たみたいだから」と、海に行って何をしたいかではなく、とにかく「海に行く」その事を主目的としていたように思う。
そして、○○さんちが三浦海岸だったから、うちは湘南まで行ってみたとか、距離的に遠くまで行った方が何か自慢げだったりした。
それでも、海に行ってしまえば非日常的な解放感を感じて、子供たちは大はじゃぎ。イモ洗い状態の混雑もなんのその。
一方、引率のお父さんはぐったり。砂浜にビニールシートを広げて「面倒くせえなぁ」と思いつつ日光浴。
それでも、自然の中に肌を晒すという非日常的な時間を過ごすうち、知らず知らずに海に癒され、元気が出てきて、帰る頃には遊び疲れた子供たちに向かって「また来ような~」とか言っちゃったりして。
海には、そんな魅力もある。