トランプに裏と表がある。
「おもて」の絵柄が全て同じでないとトランプは困る。
見た目が同じでわからないからこそ、動きを活かせる。
「うら」の絵柄は全て違うし、働きや雰囲気も異なるからこそ、
各々を生かして、繋げたり、意味づけた遊び方も想像できる。
訳(ワケ)あって、そんなふうにできている。だから愉しい。
「からだ」もそうなっているのだろう。
日常習慣の速さでは、あまりに速すぎて味わえないことも多い。
緩あって、ゆっくり、すーっと、ふわっとに馴染むのも「間」。
ついつい時間に向け、忙しくしてしまうのは習慣の癖でもある。
「はやく!はやく!」は、「からだ」に使わない方が良いのだ。
この言葉は、十分過ぎるほど刺激的だと感じるのだから。
閑話休題。
ゆっくりしていると、つい見てしまうところがある。
それは、「手のひら」と「手の甲」、爪も伸びていないか。
足の裏とあしの甲も見てみる、爪が食い込んでいないか。
そういえば、甲にはあり、平と裏にはないもの。
その心はなんだろう。
様々な答えもある。
面白い答え方を考えてみる。
はい、ととのいました。
手を合わせ今日一日、無事平穏に感謝、と解きます。
その心は。
「欲」もホドホドに手離して怪我(毛が)無し。