操体を学んでいて出会い、影響を受けた言葉はたくさんあるけれど、
そのなかでもいのちについてあげるならば、
「このいのちを、何のために使うのか」
が思い浮かんでくる。
このことばをあじわっていると、「わたし」という存在がすーっと消えていく。
「いのち」というものを、やはり一時的にお預かりしているようなきもちになってくる。きもちになってくるというより、忘れていたことを思い出す、といった方が適格かもしれない。
伝統芸能の世界でも、演奏家でも、小説家でも、職人でも、尊敬を抱くようなひとは、自身の活動の陰で、自身の健康についての眼差しを持っている。
いのちを使って活動をする上で、健康であることが大切であることを、決して忘れていない。その活動がハードであればあるほど、見えないところで健康には人一倍気をつかっている様子が伝わってくる。
「このいのちを何のために使うのか」と問いかけ続けることで、
自分から離れて、いのちがよろこぶことはどんなことなのか感じることができる。
忘れそうになっても、思い出すことができる。