昨日に続き、モノの寿命について。
人が生み出したモノにはいのちが宿る。
宿ったいのちは辞書的に言えば、「物が使用にたえる期間」の寿命をもって全うされる。
一方で、このモノのいのちというものは、人の手のかけようによって、伸びたり短くなったりするようである。
まず第一に、そのモノにもいのちがあることを忘れていないことがミソだ。
モノだって私たちが気づかないだけで、呼吸しているかもしれないのだ。
そのうえで、モノの規格に理解をもって、適正に使用されること。
そのモノの有している道理に適った使われ方をすることで、寿命はのびる。
そして、その適正な使われかた自体がメンテナンスにも繋がっていたりする。
結果、使い込まれたモノには「味」が宿ってくる。
日常のメンテナンスで間に合わなくなってきたら、修理、修復、修繕を施す。
そういう節目を越えて、モノのいのちはまた繋がっていく。
当たり前のことながら、こういったことが人の健康と寿命にもそのまま重なってくるようで興味深い。
そこでも大事なのは、このからだそのものにいのちが宿っていることを忘れていないこと。
人の健康を考えようとするときに、このキーワードが抜け落ちていることが多い気がしてならない。