モノの寿命について想うとき、
「おさがり」という習慣は以前に比べるとだいぶ減ってきたように感じられる。
私自身も姉や親戚のおさがりによって幼少期を過ごした経験があるし、
大人になってからも師や先輩のおさがりの恩恵をいただくこともある。
個人的には「おさがり」という文化は消えてほしくないものと感じている。
モノに宿りしいのちが継承され、いのちがつながっていく。
おさがりになるようなモノは、大切に使い込まれてきたものが多い。
年長者から年少者やモノを介していのちのやりとりがそこに見え隠れしているように思う。
モノを大切に使い込んでいく時代から、モノを消費する時代に移り変わり、
リサイクルとかSDGsとか叫ばれながらも、生活の根底には、自分の欲しいものを必要な時に自分で買うというスタンスが主流になっている。
便利だったり、安かったり、とても楽だったりする反面、
現在の生活のなかで触れられているモノのいのちは、
以前に比べれば短命であるモノが増えているように思う。
大量のモノが日々のなかを通過しているので、
モノの寿命なんて考えることが少なくなっているだろうと思う。
巡り巡って、その生活意識は自身のからだに対する意識にもつながっている。
それが自身の健康にとっても、大小なんらかの影響を及ぼしているように感じられる。