前日テーマに挙げてみた「モノ」に関して感じたことは、
初日にテーマで触れた「からだ」に向けても同じようなことがいえると思っている。
モノは使い込まれ、人が手をかけていく事などを通して、
良くも悪くも味わいのようなものが生まれる。
これは新品には備わり得ない、モノに宿るなにかだ。
結果的に愛着が生まれれば、そのいのちは世代を超えて引き継がれることだってある。
使い捨ての超消費社会の真っ只中にあっても、
人の寿命よりも長生きするモノは未だに存在する。
何にせよ、「使う」、「手にしている」という関わり方が、
初歩的で、重要なメンテナンスそのものになっていると感じる。
「使い方」を工夫し、手入れをしていく意志があれば、モノの寿命はそれだけでも延びていく。
前日のイギルの一件以降、「使わないこと」の影響について考えるようにしている。
忘れ去られている、意識に挙がっていないなど、色々な「使わない」状況が在る中で、
その中でも、「無視している」状況というのは、また独特な態度が在るように感じる。
使い方に多少の難があっても、何とか間に合っていける。
「モノ」にとっても「からだ」にとっても、
この「無視する」という態度は一番堪えるのではないかと思う。