瀧澤さん、今回も一週間の投稿ありがとうございました。
『学ぶ姿勢は、生きる姿勢と重なります』
はい、そのように感じます。
以前にも増して、いま学んでいることがその場だけのことにならずに、境界線を引くこともなく、自身の生きる姿勢にどんな影響をもたらしているのか、というのが面白く、大切なこととして感じます。
『「感覚」という個々に委ねられることを、いかに「からだ」で受け取っていただけるか。
「からだ」で受け取っていただいたことが、ほんとうに健康維持増進につながってくるのか。』
「感じ取ろう」という真面目な姿勢。それもまた視点を変えてみると、実は「自分」の方に主体があって、ほんとうの意味で自ずから(おのずから)からだの方で表現されている何かをいただくことと意味合いが変わってきてしまう。「感覚」を通しても、そういう矢印の方向性の揺らぎことが起こることがある。
いただいたことをおかえしすることが素直に表現される。
それが、「からだの要求」と私たちが呼んで、学んでいるものとも重なってくる。
そんなイメージが湧いてきましたが、いかがでしょうか?
『そして、空間と調和することを「からだ」にとっての「快」と捉えるなら、変化に応えていくくとは自分自身にとっても「快」なのだ、とおもえてくるのです。』
「からだ」という操体で大切にしているテーマが、空間へと拡がっていく感じ。「からだ」と「自分」が重なってくると、変化も快も空間を介して貫通しているようにおもえてくる、というイメージが伝わってくるような気がします。
学んでいると、解放されて、重なってくる、というのは本当に不思議ですね。
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と、いうことで、
改めて一週間のメッセージありがとうございました。
本日よりテーマ「何を学んでいるのか」のバトンをいただいて、寺本が担当します。
操体という非常に特殊な視点をもった学びを通して(しかもその特殊さが進化し続けていることがまた独特なのですが)、最近キーワードとして浮かんでくるのは
「解放」というイメージです。
これは操体のなかで取り上げられている「呼吸」や「動き(うごき)」などのひとつひとつのテーマについても言えることであり、また学んでいる自分自身の変化を通して感じられるイメージでもあります。
学び続けていれば、いくほどに、その内容が膨らんで拡がりをもってくるようです。
でも捉え方としては、よりシンプルなものとして受け取ることが可能になってくるのが不思議です。
過去に学んでいたことも、現在学んでいることから俯瞰して、また新たな捉え方が芽生えてくる。
決して、ムダなことにはならない。
操体がテーマとして学んできたことは、地続きで繋がっている学びのプロセスがあります。
今回はこのようなことをテーマに展開したいと思います。
よろしくお願い致します。