おはようございます。
「息」「食」「動」「想」と「環境」とのバランス。
このバランス現象からは、生きている限り逃れる事はできない。
どんな人も、このバランス現象を基として生かされて生きている。
ここに注目し、誰もが自分自身で健康の基から正していけるというのが、操体の提唱する健康学なのである。
生きている限り、他人に代ってもらう事のできない最小限の生命活動である「息」「食」「動」「想」。
この「息」「食」「動」「想」の営みは「環境」と関わり合いながら、同時相関相補性になっている。
同時相関相補性とは、ある営みが悪くなればバランスの崩れとともに他の営みも悪くなり、ある営みが良くなれば他の営みもバランスの向上とともに良くなる性質をいう。
そして「息」「食」「動」「想」の4つの営みは、常に行っていなければならない営みとそうでない営みがある。
「息」は常に営んでいなければ生存に係るし、「動」も無意識に行っている動きも含めれば、寝ている間にも生じている常の営みである。
この「息」と「動」が、自然の理に沿うようにバランス向上に向かえば、自ずと「食」も「想」も「環境」に適応するよう営み方がより良く変わってくる。
実際に「息」と「動」が変われば、「食」の質や量も変わり、「想」も変化してくる。
同時進行するように、からだのツクリ、形態も不自然さが解消されて、変わってくる。
からだの内も外もより良く変わってくるという事であり、その間に働いているのは自然良能作用、自然治癒力といったものであり、からだや自然のバランス制御の働きかけである。
大切なのは、からだや自然のバランス制御に働きかけが成されているかであり、それなくして一つの営みが良くなれば他の営みも良くなるという性質を、充分に活用する事は出来ない。
「息」にしても、世間には呼吸法に関して様々あるが、呼吸法を実践する当人のからだが不自然な方向性に傾いた状態であれば、充分な呼吸法とはならないであろう。
それよりも、「動」のからだの正当な使い方を識り、動きとともに呼吸も自然の理に沿ったものに変わっていければ、不自然な方向性に傾いたからだのツクリも変わって「息」も深く、長くといった事が可能となってくる。
からだや自然本来の良能作用というのは、本当に素晴らしいものがあると思う。
からだや自然のバランス制御への働きかけ。
ここに接するには、痛い、ツライといった不快な感覚からではなく、からだにききわけた快適感覚、からだがききわけている快適感覚であるという事が、生命体に対する自然の恩恵であるように感じる。