思い出して!十年前を。(人によってはウン十年かも?)あなただって輝く瞳の奥で、燃え盛るような眼で誰かを熱く見つめていたじゃない!思い出してほしいの!あの頃を。(きみまろさん風)
というわけで、ヒヨッコ龍(が如く)岡村郁生です。続きがありましたので・・・ジャジャ〜ン!ショクの「色」でパート?です、どうぞお付き合いのほどを。
<見る!その瞳の奥に宿るもの>
私は臨床でよっぽどの事がない限り、その方、つまり患者さん(注:からだの意思・心)を尊敬したいと考えます。
それはなぜかといえば、自分が嫌な人間を診るということに対して、例えお金を頂くのだから・・・という理由を付けるにしても、何か割り切ることが難しいのです。
私と患者さんとの話中やり取りで、よくあることなんですが
「そんなこと誰も言ってくれないわよ」という言葉が聞かれます。
物事を否定することは簡単なことであっても、肯定してあげた上で何かを伝えていく事は意外と難しい事のように思えます。
三浦寛先生の言葉に、「ふと思うことであるけれど、なぜ私達は”自分に感謝する言葉”を口にしないのだろうか、もっと自分自身に、ねぎらいや感謝の言葉をかけるべきでは?」という問いかけがありました。本人の考えていることが全てではないように、自分の意思とは別の段階で、「からだの意思」というものがあるようです。
心裏腹と言いますが、あまり自分の思いを押さえつけたり、からだの意思を無視してしまうのは失礼なのかもしれません。何かがきっかけになり、そんなことに気付いてもらえたりして、
診せて頂いた患者さんと私の、魂の交流が出来れば気分がいいし、とても気持ちが良いのです。
眼に輝きを取り戻してもらうことも、その方の色気につながるのですから、生きていく力としての色気を持って頂きたい!とそう願っています。「愛は、お互いを見つめあうことではなく、ときに同じ方向を見つめることである。」<サンテグジュペリ>
まあその〜時と場合にもよりますがねぇ〜(余計な事を!クッ)
岡村 郁生