東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体の成り立ち(1)

ある人にとって、操体は自力自療(自動)の健康法であり、ある人にとっては、フィットネスクラブや、カルチャーセンターで、インストラクターの指導によって行うものであり、ある人にとっては治療として臨床家が行うものである。また、操体の「生命は快に従う」というセオリーに惹かれ日々の生活の中に生かしている人の哲学でもある。
これはどれも操体の一面を表しているのだが、その一角しか見ていないと、非常に狭い視点(範囲)でしか操体を理解することができないのである。


操体はきちんと体系づけられてはいるのだが、そのシンプルさゆえに様々なところに入り込み、その本質を掴みきれないことが多々あるように見える。例えば操体は手技療法の一環として捉えられることが多い。
実際、多くの臨床家は操体について、誤った認識を持っている場合が多いのではないかと思う。誤ったというと語弊があるかもしれない。正確に言えば、操体の中のきわめて古い時代の認織しか持っていない場合が多いということだ。そのいい例が「操体って、楽な方に動かして瞬間的に抵抗をかけて力を抜かせればいいのでしょう」というものである。そこで私は彼らに尋ねてみる。
「果たしてそれで臨床が成り立つと思いますか? 効果があると思いますか?」
殆どの方は「いや、そうは思いません。だから、操体だけでは足りないので他の治療法と組み合わせるのです」と答える。


何故そのようなことが起こっているのだろうか。また、身体に関わる世界の中で、操体がどのようなポジションにあり、どのような特性を持っているのか、順を迫って説明して行こう。


まず、最初に留意していただきたいことがある。今から40年前と現代の人間の生活環境とその健康度合いの違いである。現代の人間の病(やまい)は、複雑化しており、かつ治りにくくなっている。
おそらく、橋本敬三先生が現役の時代は、楽なほうに動かして、瞬間急速脱力、という、正体術に近い逆モーション運動で間に合っていたのではないか。操体は、『動かして壊したのだから、動かしてみて治す』という考えがあった。操体の特徴である『動診』である。しかし最近は『動かして壊したのではない』、すなわち、動かなさすぎて壊す、環境によって壊す、心の問題から体を壊すという傾向が圧倒的に多い。動かしただけでは解決できないケースも増えてきたのである。
★二者択一の瞬間急速脱力が悪いと言っているわけではない。が、実際経験として、『楽なほうに動かして瞬間急速脱力』よりも『快適感覚をききわけ、味わう』という流れのほうが、『持続する』のは事実である。


操体の歴史をひもとくと、昭和3年頃橋本敬三医師(当時31歳)が函館で、高橋迪雄氏の正体術に出会うところからはじまる。函館中央病院慈恵院で外科医となった頃である。知り合いの父上が正体術矯正法によって、健康を取り戻したのがきっかけで興味を持たれたのだという。高橋迪雄氏の高弟に教わったと聞く。
当時は「整形外科的疾患はまるでお手上げ」で、様々な民間療法を試していたとその著書にある。橋本先生は、後に三浦寛先生に、「楽なほうに動かして治るんならばそれにこしたことはない」、「(正体術には)いたく興味を引かれた」と、
おっしゃっていたという。
民間療法の治療家達は、治すことはできるが、何故症状疾患が治るのかは解らず、その原理を説明できなかったという。橋本先生はここで気づかれた。何故、それらの療法で疾患が治るのだろうか。彼らは、からだの外郭をなす、運動系の歪みに着目していなかったのだ。鍼や按摩、整骨など、やり方は多数あり、どれも骨格の歪みを正している。そして、その二次的作用で、症状疾患が改善されるのである。
正体術の特徴は、「痛くない方、楽な方の最大可動極限まで動かして、呼気とともに瞬間急速脱力する」というものだ。現在入手できる正体術の本を見ると、客観的な形態観察を入念に行っている様子が書かれている。施術者(治療者)が、患者のボディーの形態観察を行い、長年の経験と勘に基づいてボディーを動かし、楽な方、痛くない方、あるいは可動域のある方向を選択し、可動域の極限で息を止めさせ、身体をつっぱらせるようにさせ、ドスンと全身の力を抜かせるものであった。正体術の基本を読んでみると、面白い事に気が付く。
「そこでまず正しく仰向けに寝たら、今度は頸と坐骨すなわち腰のところで身体を支えて、背中をぐっとそらし、やや上半身を反り橋のような形にして、背中を畳や蒲団などから離してしまうのです。こうすれば勢い胸が張ってきますから、肋骨矯正の準備に、ここで貝殻骨(肩甲骨)を背中のまん中で左右くっついてしまうようにするのです。そして手はまっすぐ両側につけて伸ばし、手のひらが上に向くようにします。同時に足もまっすぐに伸ばしますと、腿の下も膝の下もぴったり下について膝が反るために、自然にかかとのところが畳から少し持ち上がるようになります。こうして5,6秒程兎の毛ほども動かさずにじっとしていると、元よりなんの苦痛もありませんが、そのうちにだんだん全身に力が満ちみちて来て、ほとんど強直状態に入った形になります。やがて疲れを覚えたら、今度は急に全身の力を抜いて、一時にからだ中グニャグニャにし、自然の重みでドサリと落とすのです。誰しも思わずこのとき、深呼吸をせずにはおられませんが、その深呼吸が普通の呼吸になるまでじっとしています」(『正体術健康法』たにぐち書店)


操体では形態観察の前に正仰臥位をとらせることがある。視診(形態観察)を行う時、仰臥位の場合、まず「肘を支えにして、お尻を軽く天井に持ち上げて下さい。ゆっくり下ろしていただけますか」というように、からだをまっすぐにするための補正動作をとらせるのである。この動作は正体術に似ているではないか。
おそらく正仰臥位をとらせるというのは、間違いなく正体術に派生しているに違いない。また、その後を読むと「どんな境遇でも実行し得るだけの方法で、壮者なお少年のごとく、老齢なお青春のごとしという驚くべき効果があるのですから、実験なさらない方にはまるで奇跡のようにしか思われないくらいです」と、正体術の効能が説かれている。
「もっとも、最初にこの方法を始めるためには、まず矯正法で全身の骨組をなおしてからでないと、曲がったなりに固まって何の効果もありませんし、ことに銘々の体質や年齢、気候等によってもそれぞれ加減を要しますから、一応専門家の指導を得てからでないと、たとえこれを読んだだけで実行してみても、たいした危険はないまでも、思いのほか効果の上がらない場合がありましょう。各種の姿勢をやってみて、どれも苦痛なく容易に真似しうる方々だけは幸いにして正体なのですから、その人々だけは上記の正体術を実行してその効果を実験下さい」
専門家の全身の矯正後に行わないと、思いのほか効果が上がらないとある。これは
操体においても同様で、著しい歪み(健康の傾斜の度合いが大きい場合)がある場合、見よう見まねで自分で試してみても、危険はないものの、思いの他効果があがらない場合が殆どなのではないか。やはり最初は専門家の指導を受けたほうが良いのである。
瞬間脱力の意味も記されている。「つまり動かしてみて、出ていた骨が入るなり、入りすぎていた骨が出るような姿勢をすれば、そのときだけは、そこの骨組の不正はたしかに治っているのです。しかし、普通にもとの姿勢に戻すと、せっかく引っこんでいた骨は、肉を押し分けてまた出てきます。もとよりひとのからだの中で骨の動く模様は、空っぽの紙ぶくろの中でステッキを動かすようなものではありません。いわば、お米の入った米袋の中を、すりこ木でかきまわすようなもので、骨が沈んでゆくと、あとのすき間に筋肉がふくれ出して、うずめてしまうわけです」
これは急速瞬間脱力で、床にからだが落ちるような刺激でないと、骨格の歪みは矯正されないということを述べている。現在では固有受容器の働きなどが解明され、可動が悪い方に痛みをこらえて無理に動かすのではなく、可動域が大きいほうを他力的に、可動域極限まで動かし、しばらく保持するようなPNF的療法に繋がってくるのだ。これらの類似によって、操体法をPNFと同じものだと理解している手技療法家、スポーツトレーナーが多いように思えるが、実際は正体術に類似しているのである。
★快適感覚・からだの要求感覚に委ねた脱力(必ずしも瞬間急速脱力ではない)であっても、骨格の歪みは解消できることが最近は分かってきている。



畠山裕美